民族時報 第849号(98.4.11)


 

 主張

 

 南北会談の歴史教訓生かせ

 

 桜の咲く四月は、わが民族の歴史において実に意味深い月である。米軍政の抑圧統治に反対し、国の統一独立のために決起した済州道四・三民衆ほう起の熱気が燃えあがっていた一九四八年四月、米国と李承晩勢力による南だけの単独選挙の実施という分断の企図を阻止し、統一政府の樹立を志向する「南北諸政党社会団体連席会議」がピョンヤンで開催された。

 六〇年四月にはまた、南北連席会議の精神を踏みにじって国の分断を導入した李承晩独裁政権が、四・一九革命の喚声の中で悲惨な最後を迎えもした。済州道四・三ほう起と南北連席会議、四・一九革命を経た自主・民主・統一のための聖なる闘争の炎は、九〇年代に入って南・北・海外を網羅した汎民連運動に引き継がれ、今日に至っている。

 五十年目に行われた南側の与野党政権交代も、上のような民族史の流れと決して無関係ではなく、だからこそ新しく出発した金大中政権には、半世紀を超える分断を終わらせて統一を早めるための、果敢な政策転換が切に求められているのである。金大中政権は九一年に採択された南北基本合意書の実践を打ちだし、離散家族の再会と経済交流の拡大などを北韓に提案している。もちろん「南北間の和解と不可侵および交流協力に関する合意書」を実践しようというのは前向きな提案であり、離散家族の苦痛をやわらげ、相互の経済交流を活性化することもいい考えだ。

 しかしわれわれが、新政権の対北政策はいいことだとばかり言っておれないのは、これまでもこのような提案が歴代政権によって数多く繰り返されてきたという事実である。全斗煥政権のときは板門店を通った離散家族の相互訪問が試験的に行われ、盧泰愚政権の時期にはピョンヤンとソウルを行き来しながらサッカー大会と音楽会も行い、一時ではあっても統一の機運が高揚もした。このような和解と統一に向かう熱気が、なぜ長く続かないで急冷してしまったのか、われわれは冷静に振り返ってみる必要がある。

 長い分断で構造化された政治・軍事的な対決状態と、激しい相互不信を解消させる根本的な措置が伴わなければ、それがどれほどいい提案であっても、結局は真の和解と団結をもたらすことはなく、決して意味のある交流と協力にならないということが、これまでの南北協商からわれわれが得た心痛む教訓だった。

 現在、わが民族の前で展開されている状況は、南北が非生産的な対決をやめて和解と団結、協力をはかり、統一の道に進むことを切実に要求している。このようなときに北韓は南北次官級会談を提案し、新政権はこれを受け入れる意志を明らかにしている。南北次官級会談が開かれれば、九四年七月の南北首脳会談のための実務会談以来、三年九か月ぶりの当局者間の会談になるのである。

 せっかく再開される当局者会談は、先で指摘した時代の切迫した要求である南北の和解と団結をなし遂げ、統一に向かう新たな出発点にならなければならない。そうしようと思えば、対北対決政策をやめて南北和解の障害になる装置などはすべて除去されなければならない。具体的には、同族を「敵」と規定している国家保安法などの制度的装置をすべて廃止し、相手方を刺激して韓半島の平和を脅かす軍事演習と軍備拡張は即時中止しなければならない。

 七・四南北共同声明で互いに鮮明にしたように、外勢の干渉を排除して自主の立場を堅持することは、統一問題―民族問題を解決するのに堅持すべき根本原則である。自主的立場を堅持するのか、でなければ既存の外勢依存の姿勢をとるのかは、会談の成否を左右することになるだろう。われわれは、せっかく再開される南北当局者会談が、民族自主の原則を基本にして民族の利益を第一におき、相互の関心事を民族自身の力と努力で解決していく場になるよう望むものである。


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