民族時報 第1149号(08.12.01)


【読書案内】<わたし>の肉親の<声>

    『在日一世の記憶』

 小熊英二・姜尚中編

 新書版で七百八十一ページ。一九一一年生まれの姜金順ハルモニ(おばあさん)から、一九四一年生まれの高仁鳳氏まで、五十二人の在日一世の聞き書きである。このずしりと重い本は、読み進めていくうちにますます重くなっていく。それは、もうこの世にいないわたしのハラボジ(おじいさん)、ハルモニとアボジ(父)、生家にひとり暮らすオモニ(母)の声を聞いているような、懐かしくも不思議な感覚に囚われるからだ。ほとんどなにも語らず後世(ごせ)へと旅立ったわたしの肉親たちが、帝国―植民地―解放/分断時代をどう生き=闘ってきたかを、本書に記録された一世たちの聞き書きを通して知ることができる。編者、取材・執筆陣、編集者、そしてなによりも在日一世の方がた。この本に携わった人びとは、なんとも貴重で、ありがたい仕事をしてくれた。

 本書は、在日同胞だけでなく、日本人にとっても、〈いま〉を確認できるえ難い証言集である。植民地主義と戦争、空襲と原爆、朝鮮人組織・学校への途方もない弾圧、帰国事業、差別と抑圧……。それが過去のものではなく、また、そうできない、〈いま〉が、リアルに迫ってくるはずだ。

 それと同時に、読者には厳しい課題が与えられる。

 〈語るとは、なにかを語ら(れ)ないこと〉であり、〈聞くとは、なにかを聞き逃していること〉であり、〈書くとは、なにかを書かないこと〉である。

 一九二〇年生まれの姜必善ハルモニが、夜間中学でひらがなとカタカナを覚えた喜びをこう表現したという。

 「ひらがな、カタカタ、自分の名前を書いて、いままで目が見えんかったんがパーッと見えてきた感じでした。目の前が開けたような感じでした」

 わたしは白紙に文字を書きつけてきた人間の端くれとして、恥ずかしさとともに、心から思う。姜必善ハルモニが抱いた感動を呼び起こすほどの文字・文章を、果たして記したことがあったのか、と。そして、母語が朝鮮語で、話し言葉が日本語で、初めて書いた文字が日本語で……。つまり、「在日一世の記憶」は、〈本当に〉語り、聞き、書かれたのか、とも。語られず、聞き取られず、書かれなかったことの、広大無辺さ、深さ、重さへの想像力が試されている。そう意識し、緊張感をもって、読むという、課題である。

 本書は、在日同胞と国内外の同胞、また日本人の、とくに若い人びとに、ぜひとも読まれるべき仕事である。そう考えたとき、在日一世の記憶だけでなく、アイヌの、沖縄の、部落の、元ハンセン病患者の、「障害」者の、性的少数者の……差別され、抑圧されてきたマイノリティの、一九一〇年代から四〇年代生まれの人びとの記憶が、本書のように記録されること。そしてそれを読み、自分にもっとやすりをかけたいと、心からの願いが、わきあがった。

(集英社新書・1600円+税)

(黄英治)


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