民族時報 第1137号(08.06.01)


【読書案内】苦しくも豊穣な青春

    『私には浅田先生がいた』

 康玲子著 

 著者と私は、ほぼ同年の韓国籍の在日朝鮮人二・五世で、いわば同じ時代の日本という国を生きていた。

 しかし私には、本書にでてくる「進学校」の日常――私服登校、差別問題に関するクラス討論、朝文研・部落研、本名指導/本名宣言、同和教育推進委員会――が、なにか別世界のことのようにしか読めなかった。また、著者が猛烈に読破していった多くの本も、当時の私は、まだ数冊しか読んでいなかった。在日同胞がほとんどいない岐阜県の片田舎にある「三流校」に通っていたからそうなのだろうか……。

 とはいえ、「通名」で生活し、朝鮮人であることを「恥じて」隠そうとする心情。両親の不和――それに大きく原因する家への嫌悪。サイモン&ガーファンクルの『I AM A ROCK』をくり返し聴いたことなどは、きっと〈在日朝鮮人に共通する状況〉だったのだろう。

 やはり個々人の人生は、絶対的に唯一無二である。しかし、そうであるとして、著者と私には、なによりも、重大で、決定的な違いがあった。

 〈私には浅田先生がいなかった〉

 著者は担任の浅田修一先生との個人懇談で、「なんで本名で学校に来てへんの?」と問われる。それは、この恩師との、ある意味、運命的な出会いだった。

 浅田先生は、右足がつけ根から無くて松葉杖をついていた。先生は隠しようのない「障害」を生き、理想を語り、それを生徒たちに問い、教師生活を送っていた。そんな人からの、多分に結論を含んだ問いかけに応答することの、苦しくも、豊穣な日々――青春の記録が、本書である。

 何度かでてくる差別をめぐるクラスの話し合いの場面。これが実に面白い。まさに日本社会の縮図である。みんなが自分を「いい人」と思い込んでいる。著者が本名で呼んでほしいというのに、彼/彼女らは、呼び慣れた名前に固執する。あげくの果てには、差別を感じている当事者に「気を使わせるな」と反撃する。

 「――やはりわかってはもらえなかった」

 しかし、著者には、〈浅田先生がいた〉のである。

 もし著者に、〈浅田先生がいなかったら〉。私は本書を読みながら、著者と浅田先生の幸福な出会いをうらやみ、意地悪く考えていた。そうして、だんだんと、著者がこの記録を書かなければならなかった理由がわかってきた。

 〈今度は私が、浅田先生になる〉ということ、なのだと。

 (黄英治)

 (発行 三一書房、定価千二百三十八円)


[HOME] [MENU] [バックナンバー]