民族時報 第896号(99.10.11)


 

 資料

 

 8・15大赦免、今も残る良心囚(2)

 

 彼は戦争が終わった後、金日成大学に入学して歴史を専攻した。その後、咸興工科大学、クンジョン大学で歴史の先生として教べんを取った彼は、八〇年に全羅南道・海南を通って南派し、三十年ぶりに南の土を踏んだ。しかしすぐさま逮捕され、八七年十月まで実に六年八か月の間、南営洞の対共分室で調査を受けた。弟は戦争で死んだとばかり思っていた姉の孫ソンネ氏は、情報課の刑事を通して弟の生存を知ることになった。孫氏がスパイ容疑で逮捕され、監獄に捕らわれているという事実とともに。

 姉と弟は年老いた姿で矯導所の面会室で再会した。孫氏の姉やおいたちは面会に行ったり手紙のやり取りを通して遅まきながらも血肉の情を分かち合ったが、家族と親せきに対する捜査機関の監視は、このような家族愛までも長続きさせなかった。孫氏は、自分のために親せきまでも苦痛を受けている事実に胸を痛めた。

 もうすぐ九十歳になる姉の手を死ぬまでに一回でも握ってみたいという彼の願いは、今回もかなえられなかった。しかし孫氏は、自分が釈放されなかったことに対して失望しなかったという。自分を慰めるために訪れる人々を、逆に慰めているという。しかし孫氏は最近、心配が多い。今や監獄に残っている長期囚は辛光洙氏と自分だけ。このような場合、社会的に長期囚は今や残っていないという意識が拡がり、北にいる家族さえ、彼が死亡したか転向したと思うのではないかという恐れからだ。

 一方、法務部は「孫ソンモ氏と辛光洙氏は七十歳を超えておらず、刑期の半分を過ごしていないので、赦免から除外した」と明らかにした。しかし、辛氏はすでに満七十歳を過ぎており、孫氏は満七十歳にわずか一か月残すだけだった。また無期囚に対して刑期の半分を超えていないとの理由を持ち出したのは、彼らを赦免しないための苦しい言いわけにすぎない。法務部のこのような偏狭な考えによって、八・一五赦免はその趣旨が色あせてしまった結果を招いた。

良心囚の多くは韓総連の学生

 「大統領の父を信じて、あらゆる非理を引き起こしたやつを赦免させながら、国を食いつぶした金泳三は退陣しろと言ったわたしの息子は、なぜいまだに捕らえているのですか」

 八月十五日の明け方から慶州矯導所の門で待っていた李スネ氏(七十四歳。第五期韓総連議長・姜渭遠の母親)は、ついに耐え忍んできた悲しみを噴き出さずにはおれなかった。息子を監獄に送って早くも二年。李氏は、赦免の話が入ってくるたびに、もしやという期待でテレビの前から離れられなかった。大統領が自由のメダルを首にかけて良心囚問題の解決を約束し、息子が代表的な赦免の予定者としてマスコミに報道されたためだった。しかし、ついに息子は鉄門を開いて出てオモニの懐には抱かれず、李氏は近くにいる息子を残したまま帰っていくだけだった。

 今回の赦免で除外された大多数の良心囚は、韓総連の学生らである。最後まで赦免論議の対象になった彼らは結局、「刑期の五〇%以上の服役」という政府の方針によって、赦免から除外された。これと関連して、政府が韓総連の学生らを意図的に除外させるために、このような基準を作ったのではないかという疑心を生み出している。

 (つづく)

 


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