民族時報 第862号(98.9.11)


 

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 済州島4・3事件50周年国際学術大会に参加して

 

 石井 寛(全国会議事務局長)

 

 八月二十一日から二十四日まで、済州島の済州グランドホテルで「二十一世紀・東アジア平和と人権」をテーマに開かれた、済州島四・三事件五十周年記念国際学術大会に参加した。

 沖縄の十八人を含めて日本から百六人、台湾から四十五人など、約三百人が参加した大会は、済州島四・三事件、台湾の二・二八事件、五〇年代の白色テロ、光州五・一八抗争、沖縄の反基地闘争、女性に対する暴力と人権侵害の事例などを検証し、世界史の脈略のなかで論議しようというものだった。

 今回のシンポの最大のねらいは、済州島四・三抗争をタブー視することをやめ、歴史のなかに位置付けて、真相究明や謝罪、賠償に道を開くことにあったと考えるが、その意味で意義深いシンポであったといえるだろう。

 また、わたしの参加した「戦後補償」分科会では、高齢の元「慰安婦」ハルモニへの補償問題の解決が急がれること、植民地時代の抗日運動や独立運動の犠牲者の遺族からは補償を求める裁判闘争を考えていることなども提議された。

 二十四日には、「四・三歴史巡礼」として東広里のクンノルゲ洞くつを訪ねた。人ひとりがやっと潜り込める洞くつの奥で、家を焼かれた百二十人が五十日以上隠れ住んだという。何人かに一つ手渡された懐中電灯を頼りに、はいつくばってたどり着いた洞くつの奥の広くなったところですべての明かりを消し、真の闇(やみ)を体験した。ここで飢えと寒さ、恐怖と闘った村人も、やがて討伐隊に発見され、西帰浦の捕虜収容所に送られ、多くが正房滝(四・三事件の虐殺現場)で虐殺され、生き残ったのはわずか十五人だったという。

 今回の大会が、四・三事件の犠牲者の恨を闇から解き放ち、名誉回復と補償に向けて寄与することができるだろうと確信する。大会では「東アジアを正義と真実の地」とし、「人類の平和共存、自然の平和共存、そして宇宙の平和共栄を地上平和の目標とする」などの「二十一世紀東アジア平和憲章」を採択し、済州平和宣言として発表した。

 


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