民族時報 第828号(97.8.11)

 

訪問記

 

北の同胞にコメ540トンを伝達して(下)

 

金政夫(在日韓国人推進委員会事務局長)

 

 ソフン郡では、食糧供給所につづいて託児所と幼稚園を訪問した。ソフン郡託児所は生後六か月から五歳までの二百人の子どもたちがおり、幼稚園は四百人もの子どもたちがいるということだった。五時半ごろの訪問であったために、仕事を終えた母親がほとんど連れて帰っており、十数人が残っているだけだった。不意の来訪者に当初はけげんそうにしていた子どもたちも、持参したお菓子をあげると、おいしそうに食べた。

 翌十七日、今度はピョンヤンから北へ車で約二時間、妙香山のふもと、平安北道ヒャンサン郡を訪問した。ヒャンサン郡は人口約五万人の山間部の小さな郡で、一昨年の豪雨で山からの鉄砲水のために大きな被害を受けたということだった。現在の食糧供給状況はやはり、一人当たり一日百―九十グラムだという。早速、食糧倉庫と食糧供給所を訪ねた。推進委員会から百四十トンのコメが届けられており、食糧の配給をもらいに来ていた住民は皆、本当にうれしそうにあいさつした。住民たちが食糧を受け取った後、署名をしているので見ると配給の台帳のようで、冒頭の部分に、韓統連など日本からの援助物資であることが明記してあった。帳面いっぱいにびっしりと各世帯の名前と人数、配給量が記入されていた。一人当たり四百五十グラムを一週間分供給していた。

 その後、五十人の子どもたちがいるというヒャンサン郡託児所を訪問した。四、五歳児の部屋をのぞいたところ、二、三人の子どもはとてもやせており、そのうち一人の男児は、五歳だというのに頭一つ分ほかの子どもより小さく、頭は吹き出物でいっぱいだった。一目で栄養失調状態にあることがわかった。

 後日、黄海北道サリウォン市にある育児院を訪問した。水害で親をなくした乳幼児ら二百五十人が養護されているというこの施設では、子どもたちの状況はより深刻だった。国家から特別な配給を得ていながら、私たち職員の努力不足のために子どもたちにつらい思いをさせて申し訳ない、と園長先生はつらそうに語った。

 十九日午前、国連世界食糧計画(WFP)ピョンヤン事務所を訪問した。所長は咸興地方に出張中だということで、NGO担当公務員の肩書きを持つカナダ人のスタッフと懇談した。WFPの現地での活動状況について聞いた後、日本では食糧を送っても被災者には届かず、軍部に備蓄されるだけだという報道があるが、援助物資の供給の透明性についてどうかと質問してみた。彼は、そうした疑問はこの国に対する無理解からくるものだときっぱりと答えたうえで、具体的な活動内容を語ってくれた。

 スタッフは当初の五人から現在十五人(うち現地の朝鮮人スタッフ二人)に増員され、八月にはさらに十人増員することになっている。当局の水害対策委員会と支援物資の供給計画について協議し、毎日のように供給地域の託児所や幼稚園、病院や家庭などを訪問して供給状況について確認している。確認作業では自動車やヘリコプターを駆使して山間部の奥地までフォローしており、清津、咸興、新義州に支所を置き、船便や貨物便などで入ってくる援助物資を完璧にチェックしている。また、赤十字やユニセフ(国連児童基金)などの関係機関とも毎週水曜日に協議を行っており、常に連携して協力している、などと熱心に語った。

 午後、高麗ホテルの会議室で伝達式を行った。北韓赤十字会と政府の水害対策委員会実務代表が参席し、在日韓国人推進委員会からの寄贈書と、赤十字会中央委員会委員長代理・李ソンホ氏名義の確認書を交換した。懇談の場で政府関係者は、これまで国家の残った穀物を総動員して、四月までは三百グラムから百五十グラムまで供給してきたが、その後は百グラムから九十グラムしか供給できずにいる。そのために、道、郡、市などの行政単位や各事業所が自力で食糧を確保するように努力している、と語った。

 また、日本政府の対応について意見を求めると、「ら致事件」などを理由にすることは不当であり、憤りを感じるけれども、日本政府が援助してくれないからといって、そのことを責めたり非難するつもりはない、と断言した。われわれは苦しい時に受けた恩義を忘れないが、助けてくれなかったといって恨むようなことはしない、と言う。その政府関係者(女性)に見せてもらったノートには、日本から送られた援助の内容がびっしりと書き込まれており、そこには地方の市民グループが送ったものまで細かく記されていた。

 わたしは伝達式で彼らに次のように述べた。五百四十トンは、北の同胞が被っている厳しい状況からすれば微々たるものに過ぎないけれども、この五百四十トンには在日同胞の何物にも変え難い貴重な同胞愛と、良心的な日本の人々の隣人愛がこめられている。何よりも、私たちは北の同胞が経験している苦しみを分断された七千万民族全体の痛みとし、それを分かち合うという心情で支援運動を繰り広げてきた。人道的な次元を超えた、同胞愛にもとづいた民族大団結運動であり、これは統一運動の一環である、と。

短い期間であったが、出会った人々、子どもたちの顔が次々と鮮明に浮かぶ。そうだ、これは統一運動だ。支援運動を通して互いに励まし合い、海を越えて私たちはひとつになる。あの子どもたちのために、あの人たちとともに、一日も早く統一祖国を。

(おわり)