民族時報 第1182号(10.06.01)


【インタビュー】韓青結成50周年を語るE

       金好子 民主女性会東京本部事務局員

――今年五十周年を迎えた四月革命の熱気の中から韓青が結成され、今日にいたるが、いつごろ、どういうきっかけで韓青に入って活動するようになったか。

 「わたしが十八歳の高校生のときに、金恩澤さんが埼玉県に来られて、外国人学校法案反対阻止のための学習会で講演され、それに参加したのがきっかけ。民族教育とか、民族の魂に触れる内容に胸が熱くなって……。その後、東京で韓青女子部主催の料理講習発表会に参加したのよ。全国から参加された女子盟員がチマチョゴリに身を包んで、生き生きと輝いていたのが印象的だった。それで韓青の民族の温かさに触れて、韓青中央本部に入ることになった。思うのは、大韓青年団の時代は女性の参加が認められてなかったみたいで、四月革命後に韓国青年同盟が斬新的に生まれ変わって、新しい規約のもとに女性参加が保障され、女性らが集うようになった」

 「当時、女性活動は韓国料理講習会が軸になっていたような気がする。法的地位反対運動などいろいろな政治活動があったが、韓青に来る女性のたいがいの親たちは政治活動にあまり参加させたがらなかった。そういう背景があって、料理講習会はすごくひきつけやすかった。だから当時、料理講習会を週一回やっていた。そのうち、韓青活動を通して知り合ったカップルが結婚式をあげるお金がなくて、私たちの手料理で結婚式に提供したりした。いま思えば、韓青の女性部が現在の民主女性会の基盤になったのではないかと思っている」

――韓青活動を通して印象深かったことは……。

 「当時、わたしは中央本部に所属してたけど、埼玉県にぜひ韓青本部を作りたいとの思いから、亡くなられたホ・チャンウォンさんが結婚されて埼玉県に住んでいたから一緒に組んで中央本部の方針を埼玉県で実践しようとしたの。具体的に言えば、チノギ埼玉公演とか、ソウルへの道フェスティバル、映画『告発』上映会とか……。また東京を皮切りにスタートした七・四共同声明支持共同大会を埼玉県でもやることになり、約五百人の同胞を集めて埼玉会館で開いたのを覚えている」

 「とくに印象深かったことは、七六年の三・一民主救国宣言支持百万人署名の方針が出た際に、私たち女性活動家らが事務局を作って、日本の女性らにも訴えて韓日女性行動として戸別訪問で署名運動を展開したり、三・一救国宣言で投獄された政治犯が冬を前に暖かい冬を送れるように毛布を送る運動を行ったりした。とにかく、すごいパワーとエネルギーがあった」

 ──運動を振り返ってひと言……。

 「韓青五十年史を読ませていただいて、本当に自分たちがこういうふうに一所懸命展開してきた運動が鮮明にフラッシュバックして、息詰まる思いがする。「東湖先生が『歴史を作る民族はさらに歴史を創造する』という言葉をおっしゃっていたと思うけど、確かにそうなんだなって。半世紀を挫折することなく終始一貫して人を引きつける、そういった生命力をもった運動を展開することができたのは、やはり四月革命以降の闘いの精神がいまも息づいているからだと思う。内外権力の不当な弾圧にも屈せず、不死鳥のようによみがえっては羽ばたく、すばらしい組織だと思う」

 「とくに、韓青は汎青学連など内外の青年組織を主導していて、南北・海外にもその運動を波及、拡大させている。それがすばらしいと思う。青年たちの心意気というかね……。だからつらくなったら途中でへこたれたり、やめたりしたくなるけど、屈せず頑張ってきた韓青の炎を絶やさず継承している後輩たちは、賞賛に値すると思う。本当に民族の宝だ」

――今年十二月五日に都内で結成五十周年祝賀行事があるが、行事の成功に向けてどう寄与したいか。

 「運動をしたいけども、途中でできなくなった人もいるし、ちょっと対立して離れた人もいるかもしれないし、誤解して出た人もいるかもしれない。でも、やっぱり民族というのは包容力があるものだと思う。韓青時代に学んで一所懸命に頑張った人たちが一同に会して、五十年の成果を共有する大祝典にしたいと思う。それが私たちの喜びであるし、民族の喜びであると思う」

「やはり韓青は心のゆりかごだと思う。ゆりかごというのは本当に居心地がいい。そういう場であった韓青の祝賀行事に一人でも多くの人が全国から年代、世代を越えて集まって盛大に楽しく意義ある一日を送れたらなって思っている。そのために、私ができることをすべてしたい」


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