民族時報 第1063号(05.04.21)


【資料】完全廃止を試みるべき/悪法なき時代の体験を

    保安法をめぐる論議締めくくる時だ

チャ・ビョンジク(弁護士、参与連帯執行委員長)

 新たに選出された与党ウリ党の文喜相議長が政治的な抱負を開陳した。ところでその抱負が興味深い。与野間で合意できるなら、自身の所信を曲げると公言したからだ。古くさい政争から脱して、和合に基づく円熟した政治的妥協のために、自身の所信を捨てることは非難されることではない。普通の場合ならむしろ称賛され、激励するのが正しいのかもしれない。しかし、その対象が国家保安法(保安法)ならば事情は異なる。

 保安法を四月の臨時国会で必ず処理することを前提にしている。そうしながらも、ハンナラ党と交渉して合意処理するのが不可欠だという。朴槿恵ハンナラ党代表が少し前に「保安法に対する党の立場は変わらない」としているのとはまったく対照的だ。妥協の可能性を見せたわけだ。

 交渉テーブルの雰囲気は明るくなるかも知れないが、韓国社会の統合の展望は暗くなるだろう。保安法から流れ出す影におおわれて、いつのまにか五十七年目を迎えている。

 与野党交渉に期待

 複数の教授が直接執筆した教養講座の教材を利敵表現物とのレッテルを貼って弾圧した慶尚大学の『韓国社会の理解』事件は、約十一年ぶりの三月、無罪が確定した。「学問・思想表現の自由守護のための共同対策委員会」はただちに資料集を発刊して歴史的な証拠を提出した。

 趙廷来の大河小説『太白山脈』が不穏な小説かどうかをめぐって検察は、どうしてそんなに長い間悩まなければならなかったのか。歳月の良心にかてずにこっそりと無実の決定をくだし、数百万人の読者が証人として残された。済州島四・三事件を扱った短いドキュメンタリーフィルム『レッド・ハント(赤狩り)』も、一時期保安法のわなにかかった。金ドンウォン監督はこれに屈せず、「スパイ」たちの人間ドラマを『送還』として完成させ、サンダンス映画祭(訳注、毎年一月に米国ユタ州パーク・シティで開かれているインディーズ・独立系映画の世界最大の映画祭) で賞を受けた。その悲しさとかっとうもフィルムに刻まれて記録として保管されるだろう。

 そうしてみると、今年が人民革命党(人革党)事件三十年の年だ。まさにその年の四月に青年八人がいきなり処刑された。「恥辱的な司法殺人」(訳注参照)のてん末は最近、金ウォニルの長編小説「青い魂」に隠喩(いんゆ)のスケッチで表現された。

 ではこの四月、だれが何をなすべきなのか。

 いまや保安法を現状のままで維持しようとの主張はない。廃止するか、代替法案をつくるか、いずれにせよ現状を変えようということだ。代替立法をするなら、その水準をどの程度にするかだ。代替立法論には刑法改正論までを包含させて考えればよい。ちょっと見には、たやすい選択の問題のようだ。しかし実状はそうではない。完全廃止以外の案は、保安法の火種を依然として残しておく処方だからだ。これまで保安法による社会の混乱は、その法の存在、不存在のせいではなかった。完全廃止外のほかにどんな方式を選ぼうが、論議は継続することになるだろう。

 昨年一年間、廃止反対論は多くの紙面を飾った。賛否討論は十分に行われたといっていい。しかし、そのかまびすしい廃止憂慮の声を整理してみると、意外に単純である。保安法が存在しない状態で予想される事態の類型は、相当に作為的に見える。現実化する可能性がある行為も、具体的な危険性が欠けており軽犯罪の水準だ。危険水位にいたるとされる罪はすべて刑法で扱うことができる。

 すると、まさに今度こそ完全廃止を試みるべき機会だ。それも反対論者を無視する一方的な廃止を強行しようというのではない。代替立法を前提にする廃止を断行しようということだ。ただ、まず廃止して、代替立法は保留するのが賢明だ。

 まずは廃止論議を

 いずれにせよ、韓国政府樹立以来、初めて保安法不在の時代をみんなで経験してみようということだ。その期間が六か月だろうが数年だろうが、とにかく経験してみようということだ。そして、その期間に起きる現象を観察し、整理して分析・討論しようというのだ。その実証的な資料を土台にして代替立法の是非を決めればいい。その必要がないなら継続すればいいし、必要ならば実際に起きた現象に対処する水準で新たな法律を作ればすむことだ。

 このような廃止は、賛否双方にとって有利だろう。だから与党議長に対して、廃止の所信を性急に放棄するなと言いたいのである。

(訳注)人革党・民青学連事件は七四年四月、「緊急措置四号」発表以後、全国民主青年学生連盟(民青学連)を中心に維新反対闘争が強まった。当時の朴正煕政権はその背後に「人革党再建委」が存在するとして、保安法違反などの容疑で二十三人を拘束起訴し、このうち八人を七五年四月九日午前六時に処刑した。この大量処刑は前日の八日、大法院で上告棄却が決定して約二十時間後の執行だった。当時、中央情報部(KCIA)から事件を引き継いだ公安部検事らでさえ、被疑者の容疑を認定できないとして、起訴状への署名を拒否する「抗命波動」がおき、そのうち三人は辞表を出した。

 ジュネーブに本部があった国際法学者協会は、死刑執行の七五年四月九日を「司法の恥辱の日」と宣言した。〇二年九月、疑問死真相究明委は「人革党事件は中央情報部がねつ造した事件」と認定した。同十月、再審請求がなされた。


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