民族時報 第1051号(04.12.01)


【投稿】

    韓統連故国訪問事業に参加して

 

家族とともに参加した故国訪問

金 秀 一(韓統連大阪本部生野支部顧問)

わたしが初めて民族運動に参加したのは、いまから二十九年前の一九七五年だった。それまでわたしはアボジから、「民族の誇りを持って生きろ」「日本人には負けるな」と教えられた。わたしは教えを守って生きてきた。だが、民族のことを何にも知らなかったのも事実だった。

わたしが参加した活動は韓国民主回復統一促進国民会議のもと、在日韓国青年同盟(韓青)も組織をあげて展開していた「金大中氏救出百万人署名運動」だった。同時に韓青大阪本部堺支部の学習会で民族の言葉、文化、歴史を学び、民族意識がはぐくまれたのだった。

独裁政権に反対する政治運動に批判的なアボジは、わたしが韓青活動をすることに強く反対した。しかし、アボジも祖国の民主化を心のどこかで願っていたと思う。

韓統連故国訪問事業で、胸を張って韓国に帰ることができることになり、わたしはアボジに「一緒に祖国に帰らないかと」たずねた。すると「うん」と二つ返事で同意してくれた。アボジは足が悪い。今回の事業は公式行事が多いので心配だった。それを押して同行してくれると答えてくれたアボジの気持ちが本当にありがたかった。

アンサンブルに出演したわたしは、白凡記念館での本番で、自分の声が引きつっているのがわかるくらい緊張した。それでも会場で公演に涙される国内の先生方の姿が目に入ったとき、本国と在日の思いが通じ合ったと確信した。

訪問前に金隆司、許景民大阪本部両副代表とアンサンブルについて何回か討論した。これまでは在日のわたしたちが本国での闘いにいく度となく涙した。だが国内の人びとが在日韓国人の歴史と闘い涙し、胸を痛めたことがあったろうか。だから韓統連の闘いの歴史だけではなく、在日同胞の渡航史、差別とべっ視にさいなまれた苦難の生活史、そして闘いをわかってもらえるアンサンブルにしたのだった。

アンサンブル公演が終わり出演者とスッタッフが紹介されるとき、わたしだけでなく両親も紹介してもらった。そのときの温かく盛大な拍手は、わたしたちの一生忘れぬ宝物となった。

翌日、光州望月洞の旧五・一八墓地へ行ったとき、金昌五大阪本部事務局長がオモニに、「多くの人が光州事件で亡くなり、死体をここへトラックで運び込んで、山積みになった死体のなかから自分の息子や娘をさがし出して、自分たちで土を掘り、墓を作った」と説明し終えたとき、オモニは感極まって泣いてしまった。

アボジも車椅子でオモニとともに国立墓地で献花し、改めて韓国の民主化の道のりが険しかったことを理解できたと思う。

いままで親孝行らしいこともできずにきたが、今回の訪問事業は、わたしにとって初めての親孝行になった。

 

 


[HOME] [MENU] [バックナンバー]