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「わが祖国統一論」第2章

 第2章

第二章 わが民族は一つ、祖国も一つ

 統一の道を切り開くにあたって、克服しなければならない問題の一つは「民族異質化論」である。南北の民族のあいだで同じ民族としての同質性が薄れ、違いがあまりにも大きくなったために、同質性を回復しないかぎり統一はできない、とする民族異質化論を理論的に克服しないことには、実践的に統一運動を繰り広げていくことはできない。民族異質化論は、韓半島に現実的に「二つの主権国家が存在する」という「現実認定論」または「実体認定論」の基礎になっており、分断の固定化と永続化をたくらむ反統一的見解の主な論拠になっている。

 民族異質化論であれ二つの国家論であれ、それはすべて民族の観点ではなく体制の観点から出発したものであり、第三の立場とは異なる。民族を体制より優位におく観点、すなわち第三の立場からみれば、わが民族は南北に分裂されていても依然として一つであり、南と北に二つの権力構造が存在している現実は、一つが二つに分かれた一時的な現実であるという認識にいたることになる。

 したがって、第二章では統一の道に反する民族異質化論と、それに基づく「二つの国家」の実体認定論を批判的に検討し、主体的な民族観、祖国観を明らかにしたい。

 第一節 民族異質化論とその問題点

   民族異質化論の系譜

 分断の約半世紀のあいだ、南と北は互いに反する道を歩んできた。資本主義の道と社会主義の道である。思想が異なり体制が違っていくなかで、南北の語彙に変化が生じ、風俗や習慣にも違いが生まれた。政治・経済・文化のすべての分野で、南北間に隔たりができていることは否めない客観的な現実である。だが変化していないものもある。それは血筋と言語の共通性であり、それに基づいて南から北へ、北から南へ行きかい、互いに牽引する同一民族意識である。

 今日、祖国統一に対して消極的か、あるいは反対する立場にいる一部の人びとが、その立場を合理化している主な論拠は、民族の異質化を一面的に強調するところにある。民族が異質化されているために・統一は困難だとか、不可能だといい、祖国を統一するにしても、それは民族の同質性が回復された後の遠い将来のことだというのである。

 この民族異質化論は最近になって提起されたものではない。異質化の議論が始まったのは六〇年代の初め、五・一六軍事クーデターによって朴正煕軍事政権が登場したあたりからである。韓国では「近代化」という資本主義への指向が明確になり、北韓では社会主義体制が固まりつつあった時期である。南北が絶対的な断絶状況におかれているなかで、南北の違いは広がりつつあった。このような時期に、南韓の言論界では「分断からもはや十六年の歳月が流れ今も無情に流れて、南北の国民は互いに異質化されていっている」という声が出はじめた。これは、南北の同胞のあいだに一つの民族としての共通性が次第に薄れていっているので、これ以上異質化が進む前に早く統一しなければならないという切迫した声なのか、それとももはや統一は困難になったというあきらめの声なのか、まだその区別がはっきりしない論議であった。一つ明白なことは、その時期に新たに登場した朴正煕政権が、李承晩政権の「北進統一」と本質において同じ「勝共統一」を打ち出していたことである。

 ところが、七〇年代に入って民族異質化の論議が本格化するなか、その中味がはっきりしはじめた。朴正煕政権は当時、勝共統一から分断固定、「二つの韓国」へと政策転換を始めていた。

その代表的なものが、一九七七年十月十八日に国土統一院の主催で開かれた「南北間の異質化問題シンポジウム」である。統一政策を研究し推進する国士統一院が主催したシンポジウムならば当然、民族異質化現象を早く克服し、統一への近道を模索することに論議が集中されるべきであった。だが実際にはこれとは反対に、統一の困難さと不可能さを論証するシンポジウムであった。このシンポジウムで統一院長官は「政治的意味で、統一が近い将来、達成されるかどうかは疑問である」と述べて、「南北の異質化が平和統一の深刻な障害」であると強調した。

 この「南北韓の異質化問題シンポジウム」が当時、分断固定化や「二つの韓国」の実現を公に推進していた朴正煕政権の政策を、理論的に裏づけようとする発想のもとに開催されたことは、翌十九日、朴正煕氏がフランスの『ル・モンド』紙主筆の質問への回答のなかでより明らかになった。彼は次のように語った。「平和統一が実現されるとは思われない。平和統一の条件が成熟されるまで平和共存が必要であるが、南北共存はドイツ方式が適当である」。このドイツ方式とは、七〇年代初めに東西ドイツが二つの国家に分立、併存することに合意したことを念頭においた言葉である。

 八〇年代に入り、民族異質化論は南韓の執権勢力と御用言論の固定観念になってしまい、今では統一問題を論議するときには、決まってこの問題が持ち出されるようになった。

 分断十五年が過ぎた時点で民族異質化論が出はじめたが、その三倍も超える歳月が過ぎた八〇年代末から現在にいたって、南北の民族が異質化したとみる見解が韓国の執権勢力を支配するようになったことは、ある意味では別に不思議なことではない。このような考えは執権層だけではない。野党や在野の一角でも統一問題に関するかぎり執権層と基本的に同じ視角をもち、民族の同質性回復を統一の前提条件として掲げているありさまである。

 では統一の見地からみて、克服すべき民族異質化論の基本的な問題点は何だろうか。

   民族異質化論の問題点

 民族異質化論に一貫している特徴的な主張は、おおよそ次の二点である。

 一つは、血筋と言語の共通性だけでは一つの民族になれないという主張である。

 このような主張も、やはり統一政策を研究するという国土統一院に属している人物の中から出ている。例を挙げると次のようなものである。「現象面で南北間に息づいている民族的共通性は血筋と言語――言語も部分的に異質化している――、そしていくつかの風俗が残っているだけだ。……こうみると、南北の同胞が同じ民族であるから団結し、統一すべきだという従来の名分では、民族統一推進の実践的な妥当性が切実に感じられないのではないかと思う」。(1)

 この主張の要点を整理すると、南北間の民族的共通性は血筋と言語が残っているだけで、他のものはすべて消え去ったのに、血筋と言語の共通性だけをもって同じ民族だから統一しなければならないという名分はもはや通じなくなった、ということである。

 そうだとすれば、南北の同胞の心の中に今も息づいて互いに強く引き合う力は、何によるものなのかという疑問が生じる。八四年の秋、北韓から水害被災民救済物資が送られ、南韓がそれを受け入れたとき、詩人・高銀氏の表現どおり、北韓の米と南韓の米を混ぜあわせて炊いたご飯を食べ、感激のあまり涙を流したことや、八五年九月、分断後初めて実現された南北間の故郷訪問団と芸術団の交換が、あれほど大きな波紋を起こさせたのはどうしてであろうか。

 神戸とユーゴスラビアのベオグラードで開催されたユニバーシアードで、南北の選手が互いに応援し激励し合った事実、そして近くは九〇年九月に北京で開かれたアジア大会の際、南北の応援団が合同で応援し、わが民族が一つであることを全世界に誇示したこと、続いてピョンヤンとソウルで交互に催された南北統一サッカー競技会と、特に日本で行われた世界卓球選手権大会での南北統一チームの出場が、南北同胞の心と心を一つに溶け合わさせる意義深いきっかけになった事実などは、血筋と言語が同じであるということだけでは南北の同胞が団結することができないという、民族異質化論の虚構性を突いたものだといえる。「血は水より濃い」というたとえは、分断の歴史を生きているわが民族にとって単なることわざではなく、生活の具現であるというべきである。

 民族異質化論のもう一つの問題点は、そこで強調されている異質化の様相についてである。

 一般に、異質化とは二つの事物の関係での質的変化と連関されている概念である。異質化現象では三つの場合が考えられる。

 第一に、質的に同じ状態にある事物が、ある一方は変化がないのに、他の一方が変化を起こし質的に異なる状態に移行する場合である。この場合、二つの事物は互いに異質的なものになる。

 第二に、二つの事物がともに質的に変化を起こすが、その変化の性質と方向が相反する場合である。この場合も二つの事物は異質的な関係におかれる。

 第三に、二つの事物がともに質的に変化するが、変化の性質と方向が同じ場合である。この場合には、二つの事物はそれぞれ元の状態から質的変化を起こすが、二つの事物の相互関係では質的同一性がそのまま保存されている。

 それでは、民族異質化論者らが主張する南北間の異質化現象は、どのような様相を念頭においたものだろうか。これについて明言したものは少ないが、その論調から推察すると、前述の第一の場合と同じとみられる。南韓では基本的に民族の特性に変化がないのに、北韓ではそれが別の質に変化したというのである。

 このような見解をあらわにしたものが「民族史的正統性論」である。民族史的正続性論は朴正煕政権の時代から論じられはじめ、今日では執権層のあいだで通説となっている。南韓では民族史的正統性を継承して民族の姿が昔のままであるのに、北韓では変わってきているため民族の異質化現象が起き、したがって統一の推進が難しくなった原因は北韓にある、というのが民族史的正統性論の基本的な骨子である。

 では、具体的に南韓では何がそのままであり、北韓では何が変わったのかをみなければならない。血筋と言語生活では南北間に大きな違いがないということは、民族異質化論の主張者らも認めているところである。ただ変ったものといえば、経済・文化生活を規制し統合する政治社会制度だけである。

 ところで、果たして南韓では政治も経済も文化も民族史的正統性を継承しているだろうか。ここでは次のような問いが生まれる。多国籍企業に従属した買弁財閥が育成され、貧富の格差の極大化を招いた南韓の経済構造は、民族の伝統を継承したものといえるのか。米国や日本などの外部勢力を二重三重に引き入れ、外来の風潮を無分別に受け入れて、先祖伝来の美風と良俗を踏みにじらせてはいないだろうか。美しいわが民族語が英語との混合語にされてはいないだろうか。

 政治・経済・文化などの分野で民族史的正統性を縦承するということは、政治や経済、文化の建設で民族の精気を固守し、民族の歴史的志向を正しく具現していくことだと理解すれば、韓国で民族史的正統性がそのまま保たれ引き継がれているという主張は現実と合致しない。

 万物は絶えず流動し変化する。これは自然の法則であり歴史の流れである。八・一五から五十年近い歳月の流れのなかで、政治・経済・文化の各領域で北も変わったが、南も変わったのである。それぞれが異なる方向に変わったのだ。この意味で南北が互いに異質化されたというならば、異質化だといえる。しかし、変っていないのは同じ民族としての血筋と言語であり、それに基づく同民族意識である。

 血筋と言語の共通性はまだ生きているのに、政治・経済・文化に違いが生じたから民族が異質化したとする主張は、どこに起因するのか。それは歪曲された民族観に因るものである。そのために、次に民族観の問題を論議する必要がある。

 第二節 民族の同質性を規定する基本要素

   ヨーロツパの民族観への批判的考察

 一般に民族とは、人びとが結合して共同で生活を営んでいくもっとも広範な生活共同体であるといえる。

 人間という存在は二つの性格をもっている。一つは自然的・生物学的存在としての人間であり、もう一つは社会的存在としての人間である。民族の実体を正しく認識しようとすれば、人間がもっているこの二つの側面との連関のなかで考察しなければならない。

 人間の外形的な生物学的特徴、例えば皮膚や頭髪の色と形態、頭長幅示数など、身体の一定の遺伝的特徴を基準として人類を区分したのが人種である。

 民族は生物学的範疇である人種とは違って、社会的存在としての人間が社会的関係のなかで結合して形づくられた社会的範疇である。社会的存在としての人間は歴史的存在でもある。悠久の歴史の流れのなかで人類が発生し、社会が形成される。民族は人類史の初めから存在していたのではない。それは、自然を征服して社会を改造し、さらに自由で自主的な生活を創造しようとする人間の、力強い闘争過程の一定の段階で形成された歴史的範疇なのである。この意味で、純粋に自然的な血族関係に基づいて成り立つ原始社会の氏族や種族は、民族が発生する源流にはなりうるが、民族と同一視することはできない。両者はまず区別してみなければならない。

 民族が社会的関係のなかで形成された社会的範疇であり、歴史発展の一定の段階で成立した歴史的範疇であるということは、民族に対するごく一般的な表象を与えるだけである。民族とは何かについて一層具体的に理解するには、民族を特徴づける要素、人間が結合され民族を形成するようになる契機を分析、判断しなければならない。

 このような要素と契機を見つけ出して民族概念を規定しようとする試みは以前からあったが、それに対する研究と議論が本格的に始められたのは、資本主義が発展して近代市民社会が出現した時期からである。近代的な民族国家が形成され、その国家を支えるイデオロギーとしての民族主義が台頭するにつれ、民族主義の出発点としての民族の本質問題に学問的関心が注がれるようになった。したがって民族に関する論議はまずヨーロッパで始まり、ヨーロッパがその中心舞台になった。

 そのようなことから、他の学問分野でも多くの場合そうであるが、民族に関する理論でも、ほとんど公式のように通用してきたのがヨーロッパの人びとの見解である。韓国で議論されている民族異質化論などの民族に関する理論も、その脈絡をたどればヨーロッパにいきつく。世界には数多くの民族が存在し、それらの民族が歩んできた歴史的発展過程と内容は同じではなく、民族によって固有の特性をもっている。ヨーロッパの民族観を世界の他の地域に機械的に適用すれば、民族に対する認識と実践で大きな誤りを犯すことになる。

 このような観点にたって、ヨーロッパを基本にして、これまで提起されてきた民族に関する学説を概括し、若干の批判的な分析を加えたい。

 まず、民族の本質を客観的要素に求め、さまざまな客観的要素の中からある一つだけを一面的に強調する客観説について検討してみよう。

 客観説には、地域の共通性を民族形成の基本とみる地域共同体説と、血縁関係を民族の基本特徴とみる血縁共同体説がある。血縁関係だけを強調すれば、民族と人種を同一視して人種論に陥ってしまう。人種論者であるフランスの外交官ゴビノと、ヒトラーの人種政策に理論的基礎を与えたドイツのギュンター・ローゼンベルクなどが、血縁共同体説を主張したのは偶然なことではない。また、言語の共通性を民族形成の本質的要素とみる言語共同体説もある。

 このように、民族の本質を規定する多くの要素の中からある一つだけを取り出して、それをもって民族の概念を規定し他の変素を無視するのは、一部分をもって全体像を判断しようとするようなものである。

 客観説に反対して、主観的要素から民族形成の契機を見いだそうとする主観説もある。民族意識や民族精神のようなものが民族形成の本質的要素になるというのである。フランスの哲学者ルナンは、人種・言語・宗教・利害関係の一致と地理的条件などは、民族構成の十分な要因になりえず、「喜びや悲しみをともに分かち合ったという記憶」が、人びとを民族に結合させる基本契機であるとみて、「民族は一つの精神原理」であると述べている。

 一方、客観説と主観説を折衷した学説もある。民族の特質を規定するうえで客観的要素と主観的要素はともに作用するが、この二つの要素は互いに不可分の関係にあるとする見解である。折衷説によれば、客観的条件に基づいて主観的条件が規定され、主観的条件は民族の本質を規定するようになるという。

 韓国の政治学者・申福龍教授の見解がその折衷説に属する。彼は「民族とは、地域的共同体と、自らがその共同体の構成員であることを認識している人間と、そして自らと共同体の単一性を維持しようとする欲望を属性とする人間の集団を意味する。したがって民族の形成は地縁や血縁が契機になるが、このような客観的な事実よりは主観的要素、つまり共同体内での連帯意識をより重要視するようになる」と主張している。(2)申教授の見解は折衷説でありながら、主観的要素に力点をおいている。

 主観説が強調している民族意識や民族精神などの精神的要素についていえば、それが民族を支える精神的な柱ではあるが、民族概念とは一応区別すべきである。民族意識がない民族はありえないが、概念上、民族と民族意識は同じではない。主観説のように、民族意識または民族精神が形成される客観的基礎を無視して、精神的要素だけを絶対視するならば民族というものは神秘的な存在になり、その実体は人間の認識圏からはるか遠くにあることになる。精神的要素を民族形成の重要な契機と認める点では、折衷説も主観説も同じものであり、したがってこの説も再検討されなければならない。

 以上のような主張の一面性を克服し、総合的な見地から民族に関する見解を打ち立てようとしたのが、文化共同体説と経済共同体説である。

 文化共同体説とは、ある程度の血縁の共通性と居住地域の同一性を基礎として成立した広範な文化共同体が、まさに民族であるとみる説である。血縁と地域の共通性を基礎にして共通の文化が形成され、この文化の共通性を契機に一つの集団が成立される。それがまさに民族だというのである。言うならば、文化の共通性を上位において血縁と地域の共通性、またその他の共通性は、文化の共通性との連関のなかでだけ意味をもつものとみる見解である。だから民族は文化の共同体というのである。

 ここで、文化の共通という内容でまず挙げるのは言語の共通性である。共通の言語によって民族の楕成員は互いに意識内容を通じあうと同時に、言語という思考形式を共有することによって類似した精神的特質をもつようになるというのである。また、伝統的に受け継がれ民衆の生活と密着した文化が重要な意味をもつ。例えば衣食住・生活様式・風俗・習慣・宗教のようなものである。文化に属するこれらによって人びとは独自の民族的性格をつくりあげ、それが民族意識の母胎をなすようになる。このほかに経済生活と歴史的運命の共通性などがまた重要な作用をし、これらすべてのものが総合されて民族成立の契機が整えられる。

 文化共同体説が主張する内容を吟味すると以上のとおりである。

 文化共同体説によれば、民族の形成は近代資本主義社会の出現と一致し、中世の封建社会では民族としての人間的結合はまだ成立していないとみる。封建社会においても民族の特性を表す民族文化が徐々に発達はするが、まだ民族文化としての完全な姿を整えることはできえていないという。これは封建領主の割拠によって地域が分散、分離され、また厳しい身分制によって、支配階級と被支配階級のあいだには生活風俗や伝統、感情などで相互交流と共感が行われえない、まったく別次元の人間同士のようになっているためだからである。ひとえに、資本主義の発達によって封建的分散性が克服されて国民的文化の中心が形成されていき、民衆を啓蒙する過程を通して民族的感情が統一され、一つの完結した民族が成立されるという。

 このような視角から、E・H・カーとC・J・H・ヘイズなど西ヨーロッパや米国の多くの学者らは、啓蒙主義時代をへてフランスのブルジョア革命と産業革命が遂行され、これに基づいて、物質文化、精神文化生活で急激な変化が起きた十八世紀に、民族形成の歴史的な始点を求めている。

 文化共同体説は、早くは古代ギリシャ文化から始まりルネッサンスをへて近代にいたっているヨーロッパ社会、言うならば、文化主義が伝統的思潮になってきた全ヨーロッパの歴史的現実の反映であり、文化主義史観に基づいた見解である。

 一方、経済共同体説は、民族を成立させる多くの要素のうち、経済生活の共同を決定的なものとみる見解である。この見解によれば、民族はその内部で共同の経済生活を営むようになって、初めて一つの民族として完成された姿を整えるようになるという。経済共同体説はヨーロッパで多くの学者によって提唱されたが、マルクス主義理論家のなかで特に著しい。その代表的な人物がスターリンである。

 スターリンは一九一二年末~一九一三年初めに「マルクス主義と民族間題」という著書を発表したが、被がこの本を書くようになった動機は次のようなことであったという。すなわち、民族形成で文化の共通性を優位におく見解が、オーストリアのシュプリンガーをはじめマルクス主義者のなかに広がり、その影響下でロシアのユダヤ人をはじめ少数民族出身の労働運動家が「民族文化自治運動」を展開しはじめ、この運動をロシア共産境内の一分派組織が公式的に承認するようになった事態と関連している。

 民族文化自治とは、ロシアの労働者階級を地域別に組織するのではなく、地域に関係なく文化の特性によって民族別に組織すべきだというものであった。これを、労働者階級の国際主義的連帯を弱めさせようとするブルジョア民族主義の表れとみたスターリンは、上記の著書でマルクス主義的民族論を展開しながら、民族の概念とその形成時期に関する自らの見解を打ち出したのである。スターリンによれば、民族とは「言語の共通性、領土の共通性、経済生活の共通性のほかに、文化の共通性をもつ心理的性格の共通性に基づき、歴史的に形成された人間の共同体」であり、このなかのどれか一つが欠けても民族とはいえないという。

 ここで二つの点に留意する必要がある。一つは血縁の共通性についてまったく言放されていないことであり、もう一つは経済生活の共通性とともに文化の共通性も指摘されていることである。これは、文化共同体説で経済生活の共同が無視されていないのとよく似ている。しかし、決定的なことは経済生活の共通性であって、文化など他の共通性は経済生活の共通性が成立する条件のもとでだけ意味をもつというのである。

 この点を確認するため、スターリンの主張をもう少し追ってみよう。

 スターリンによれば、民族を形成させるすべての共通性は、資本主義以前の時期に除々に形成される。しかしそれはまだ萌芽形態でしかなく、将来、条件が成熟した状況のもとで民族を形成する可能性を内包しているだけである。この可能性は、国民市場が形成され経済的中心が築かれる資本主義にいたって、初めて現実へと転換される。資本主義の発展は封建的分散性を清算し、個別的な多くの地域間の経済的連係を発展させ、一つの全国的市場へと地方市場の統合をもたらす。こうして経済生活の共通性が形成され、この共通性に基づいて文化の共通性も形成される。資本主義的生産様式の発展が民族形成過程の基礎になっているため、民族的結合の完成はまさにブルジョア的結合の完成である。したがって、市場こそがブルジョアジーが民族主義を学ぶ最初の学校である、とスターリンは強調している。

 このように、スターリンは経済生活の共通性を優位におき、それを中核にして民族の本質を規定している。経済生活の関係を優位におく民族概念は、歴史を認識するにあたって社会の経済生活条件を重視する経済史観、特に生産様式の交替過程を軸にして人類社会の発展過程を把渥しようとする唯物史観の論理的な帰結といえる。

 以上でみた文化共同体説と経済共同体説は、民族形成の主な契機を理解するうえで互いに違いはあるが、民族形成の歴史的始点を近代資本主義社会が出現した時期と一致させている点では、二つの説は合致している。ヨーロッパで、民族の形成始点を封建主義が清算され資本主義が確立される近代社会に求めるのは、それなりの根拠があるといえる。それはヨーロッパ社会が発達してきた歴史的背景の特殊性によるものといわなければならない。

 第一に、ヨーロッパが典型的な封建社会を経過したという点である。原始社会から奴隷制社会へ、奴隷制社会から封建制社会へ移行してきたことは、世界史発展の一般的な流れであるが、ヨーロッパのように領邦絶対主義が支配し、分権化された封建制を発展させた地域はまれである。このように徹底した分権主義的封建制が支配していたヨーロッパ社会では、人びとが個人的に覚醒することはできたかもしれないが、わが国のように、すでに昔から単一民族国家を形成した地域と比べてみるとき、民族的に覚醒するには困難な状態にあったことだけは確かである。

 第二に、ヨーロッパは他の大陸に比べて相対的に狭い地域ながらも、早くから異なる種族に属する人びとが密集し、混在しあって生活してきたという特異な条件を考慮しなければならない。これがヨーロッパ社会で非常に分権的な封建制を出現させた原因の一つだと思うが、いずれにしても、その複雑な種族の多くの流れが封建制と連結され、人びとを民族の次元に結合させるのに妨げになったとみなければならない。

 例えば、イギリス民族やスペイン民族はそれぞれ五つの種族に分かれていたし、フランス民族は十三の種族、イタリア民族は二十の種族の混成であった。ヒトラーがあれほど「血の純潔性」を強調したドイツ民族も、厳密にいえば五つの種族の混血からなっている。ヘイズが指摘したように、一七八九年のフランス革命が起こる直前までは、フランスも緊密に統合された一つの民族というよりは、ガスコーニュ人、プロパンス人、アルトア人、ブルターニュ人、ノルマンディ人とアルサス人などの集合体であった。

   民族概念の主体的理解

 文化共同体説や経済共同体説に代表されるヨーロッパの民族概念は、深く掘り下げてみなければならない二つの問題点をもっている。

 その一つは、民族とはあれこれの条件の変化に伴って、たやすく分離される比較的可変的な共同体という観点に陥ってしまうという点である。文化の共通性または経済生活の共通性を優位におき、それを民族形成の決定的な契機とみるので、この契機に何らかの変化が起きるとき、言いかえれば民族の一部構成員が文化的または経済的に他の生活圏に属するようになれば、彼らはたとえ血筋と言語に変化がなくても、一つの民族としての紐帯は断ち切られてしまうという。

 歴史的事実は、植民または移民のように、民族の一部構成員が他の文化圏や経済生活圏に組み込まれる場合が少なくないことを示しており、これと類似した住民移動現象は、社会が発展するにつれてさらに加速化の傾向をみせている。また、資本主義列強の植民地に対する分割統治によって同じ民族が分離され、互いに違う文化圏や経済生活圏を形成した場合も少なくない。この場合、分離された部分は一定の時期が過ぎれば同じ民族ではなくなることになる。

 もう一つの問題点は、ヨーロッパのような資本主義的発展をへなかった地域の民族形成に関することである。非ヨーロッパ地域のアジアやアフリカには、いまだに資本主義的近代化を遂げていない民族が数多く存在している。それらの民族は、資本主義の影響を受けて単一国民市場や文化の中心を形成するまでは、民族ではないということになる。

 これは明らかに現実と合致しない主張である。このことから、ヨーロッパの多くの民族は資本主義の発展とともに成立したのに反し、アジアやアフリカの多くの民族は植民主義、つまり欧米資本主義の浸透への抵抗と結びつき、新たな社会的経済的状況のなかで成立したか、成立しようとしているという説が流布されている。いずれも、資本主義の洗礼を受けてこそ民族が生まれるという主張である。

 このような問題点を含んでいるヨーロッパの民族観を、わが民族の歴史と現実に教条的に受け入れるならば、大きな誤ちに陥ることになる。

 まず、悠久のわが民族史が否定される。五千年の歴史をもっているとはいっても、欧米列強がわが国に侵略の手を伸ばすまではわが民族はまだ完成された民族ではなく、十九世紀末から二十世紀初めにかけて外部勢力の脅威と侵略を受けた後、初めて覚醒されて民族になったと認めることになる。

 次に、日本や米州、中国やソ連、ヨーロッパなど、世界各地に居住する数百万にのぼる海外同胞の問題である。彼らが海外に出て居住するようになった動機はさまざまであるが、十九世紀末から今日にいたるまで、外国によって独立を奪われ国土が分断された異常な状態と関連している。そこで、海外同胞は今や文化生活や経済生活の単位が異なるので、母国の同胞と同じ民族ではないという論理に陥ることになる。

 特に、休戦ラインを境に分かれて暮らしているわが南北同胞も、今や同じ民族でない、ということになる。分断半世紀のあいだ南北が断絶した状況におかれたなかで、双方のあいだには文化の色彩も変わり、経済生活も完全に性格が異なったものに変わった、それなのにどうして南北の同胞が同じ民族だといえるだろうか、ヨーロッパ的な民族概念から出発すると、こういう結論にいたる。

 このようにみると、分断半世紀のあいだに南北間に民族の同質性がなくなり、異質化したとする主張の理論的基礎が明白になる。この誤った見解は、ヨーロッパの民族観を機械的に借用したことにある。だから民族異質化論を理論的に克服しようとすれば、ヨーロッパの観点をすてて新たな観点から民族の概念を明らかにし、民族の発生と完成過程を考察しなければならない。

 新たな観点とは主体的な観点である。ヨーロッパの現実からではなく、われわれの現実から出発する民族主体の立場であり、経済や文化など人間がつくりだす物質的、精神的生活条件ではなく、人間自体を基本にして民族をみつめる人間主体の観点である。

 このような立場と観点にたって、人間の生活が展開される歴史的過程にそって、人間が民族という共同体に結合されていく契機を考察し、民族の概念を規定しなければならない。

 人間の生活は時間と空間のなかで営まれ、社会的関係のなかで展開される。絶え間なく解放を追求する努力と過程、それがまさに人生であるという言葉があるが、人間が発達してきた歴史こそ、よりよき生活、あらゆる束縛から解放された自由で自主的な生活を追求してきた歴史だといえる。このような努力とたたかいのなかで人間は互いに力を合わせる必要を痛感し、社会的関係のなかで共同生活を営むようになった。これに伴って、空間は人間が定着し共同で生活する地域に区分、固定された。そして人間が共同生活をする社会的単位も、歴史の流れにつれて氏族と種族の段階をへて、次第に民族へと結合されていく。

 このようにみれば、地域の共通性は民族を成立させる最初の契機であり、前提条件だといえる。人間は同じ地域で共同で生活する過程を通し、血筋と言語、経済と文化、政治生活などの共通性を生みだし、民族を形成するようになる。居住地域の共通性なしには人間の共同生活は営まれない。

 また血筋の共通性は、人びとを一つの民族性をもった堅固な集団に結合させる重要な条件である。血筋の共通性を無視するか、あるいはその意味を重要視しないのは誤りである。血筋の共通性をはなれて民族を考えることはできない。ここでいう血筋とは自然的なものでなく、社会的存在である人間としての血筋である。人間は同じ地域で社会を形成し共同生活を営む過程を通じて、自然的で動物的な血筋関係を人間的なもの、社会的なものに転換させた。それは人間が未開な動物的群婚から脱し、人間的婚姻制度を確立した家族の発達と関連する。

 人間の共同生活は共同労働から始まり、共同労働は意思疎通の手段として咽喉や口腔の発達を促し、有節音をつくりだして言語を発生させた。共同労働の過程で発生した言語は、共同の地域で共同の血縁関係を成して暮らす人びとの連係を発展させるうえで、大きな役割を果たすことになる。人間は共通の言語をもつことによって互いに密接な関係を結べるようになり、共同の文化と共同の経済生活を創造し一つの民族に結合するようになる。

 以上でみた民族形成のさまざまな契機を、その性格に従って区分すると大きく二つに分けることができる。居住地域が人間生活が営まれる外部的な空間条件であり、文化や経済は人問の肉体的または精神的労働が体形化された創造物とするならば、血筋と言語は居住地域と文化また経済と一応区別しなければならない、人間自体と結びついている要素といえる。社会は人間と人間が創造する物質的・精神的富と、それらを結びつける社会的関係であると理解するとき、血筋や言語は人間の創造物ではなく、人間自体と密着しているものとみなければならない。言語をもたない人間は人間以前の段階の存在であり、また血縁関係を離れて人間は存在しないのである。

 このような区別の妥当性は、血筋と言語の共通性が居住地域、文化およぴ経済生活の共通性に比べて、相対的に不変性をもっているという点で確認できる。民族を成している構成員のあいだで、居住地域や文化・経済生活単位はたやすく変わることがあっても、血筋と言語の共通性は比較的永いあいだにわたって変わらないということである。古代ユダヤ国家が滅亡して二千年のあいだ、ユダヤ人は世界各地に離ればなれになって生きてきながらも、固有の血筋とヘブライ語、そしてこれに各居住国の言語を加味させた独特なイディツシュ語によって、言語の共通性を失っていない。このユダヤ民族の例は決して特殊な例ではない。

 民族形成のほかの要素に比べ、血筋と言語の共通性が恒久的に存続する特性をもつという事実は、血筋と言語の共通性こそ、人びとを一つの民族に結合させる凝結力の基本要素であり、民族性と民族意識を支える主な柱であることを意味する。民族性や民族意識が文化の共通性と結びついているのも事実である。同一の文化の中で成長した人びとは類似した人格をもつようになり、互いに共同意識と親密感を感しるようになる。しかしそれより、その根底には血筋と言語関係がもっと強く作用している。

 民族を構成する人びとが他と区別される気質をもつようになるのは、まさしく血筋の共通性からくるものであり、血筋の共通性を離れては民族性は形成されない。民族意識においても、その基礎になるものは同じ祖先から生まれたという血統意識である。言語についていうならば、言語は文化の民族的形式を特徴づける基本手段であるだけでなく、民族が独自の民族として存立できるようにしてくれる民族共同体意識形成の源泉となる。国有の言語なくしては、固有の民族文化を創造することはできない。

 このように、どんなに永い歳月が流れ客観的状況が変わっても、変わらないのが血筋と言語の共通性であるならば、血筋と言語は民族を成立させる礎であり、民族が民族としての存在を維持できるようにする最後の保塁だといえる。歴史的に他民族を侵略した征服者が、その民族を同化、または抹殺するために血筋を汚し、民族語を抹殺することに力を注ぐ理由もここにある。

 このような視角からみるとき、民族は当然、血筋と言語の共通性を基本にして、それに領土や文化、経済生活などの共通性を結合させて、その概念を判断するのが正しいであろう。言いかえれば、民族は血筋・言語・領土・文化・経済生活などの共通性によって成立するものであるが、ここで民族の同質性を規定する基本要素は、血筋と言語の共通性であるということである。

 これがすなわち民族概念についての主体的な把握であり、わが国の歴史と現実に合致する民族観である。

 この主体的な民族観から出発してこそ、悠久のわが民族史が再確認されうるし、ヨーロッパから資本主義の風が吹いてくるはるか以前、遠い昔から同じ血筋と言語に基づいて一つの国家を形成し、輝かしい文化を創造してきたわが民族の歴史が鮮明に浮き彫りにされるのである。主体的な民族観から出発してこそ、また南と北、海外の七千万同胞が変わることなく一つの民族であるということを確認し、分断を克服し統一を達成することに力を尽くすことになる。言いかえれば、分断半世紀を生きてきながら南北間に生じた思想と体制の違い、つまり異質化された側面よりも、いまだに保たれている同質的な側面、血筋と言語の共通性という本質的な側面を一段と重要視するようになる。

 これについて、宋建鎬氏はかつて次のように指摘したことがある。「われわれは南北の民族的異質性より同質性を一層強調しなければならない。平和統一を願うならば何らかの共通点、つまり同質性を探し出さなくてはならない。南北の異質化がこれほど深化したと強調することは、平和統一がそれだけ難しくなったということを強調するのと同じである」。宋氏は続いて「異質性は一時的であり、同質性は永遠で本質的であることが強調されなくてはならない。それでこそ平和統一の可能性が増大することになる」(3)と力説した。

 正しい主張である。民族の異質化を強調することは、統一をしないという姿勢と立場の表れである。異質性よりも同質性を重視して強調するところに、分断現実にうち勝って民族統一を達成しようとするわれわれの希望と可能性があり、道が開かれるのである。

 第三節 民族と祖国

  体制優位論と民族優位論

 七〇年代後半期に、自由評論社発行の「南北連邦制案批判」という著者名のないパンフレットが一時出回ったことがある。その内容からみて、南北関係に対する当時の朴正煕政権の基本的な立場を国民に宣伝するため、権力側から出されたものに違いない。

 このパンフレットには次のような点が強調されている。「まったく異なる理念と体制をもった二つの異質化した社会を、一つの民族国家に統合するという課題は、単一民族として悠久の歴史、言語、文化および伝統などの固有の共通性があっても、経験的な異質要素による分裂の深層は厳然とした現実であるため、統合は単純な修辞学的な観念でしか把握できないものである」。

 ここには、よく見かける民族異質化論の次元をはるかに超えた、恐るべき主張が展開されている。単一民族として歴史や言語、文化や伝統など固有の共通性が生きていても、言いかえれば民族的共通性がそのまま保たれ民族は明らかに一つだとしても、理念と体制が異なるため、南北を一つの民族国家に統合するということは愚かな考えにすぎないという主張である。露骨な反統一論である。分断以後、統一のために苦闘してきた民衆に対する背信的な挑戦であって、一顧の価値もないものだが、ここには見逃すことのできない重要な問題点が浮き彫りにされている。それは、イデオロギーと体制を民族より優位におく体制優位論が、率直に強調されている点である。

 体制優位論は民族異質化論と密接に結びついている。民族異質化論はそれを主張する角度と内容によって論者に一定の違いはあるが、どれも帰着する点は結局、体制優位論である。現政権を含め、韓国の執権勢力は例外なく体制優位論に基づいて南北関係を扱い、問題を解決しようとしている。

 それではいったい、体制とは何か。体制とはすなわち社会体制であり、社会体制は一般的に政治・経済・文化など、社会生活の各領域で規定された制度と秩序の総体を意味するが、学者によっては社会体制を複雑に定義している。例えば、社会体制とは、社会を一つの有機体に比較してみるとき、その組織様式と同じようなものであるとか、または各種の集団・組織・制度・イデオロギーが、経済的下部構造を貫通する中心原理によって一義的に規定され、一つに整理された構造連関として把握されるとみる見解である。マルクス主義では、経済的下部構造とその上に成り立つ法律、政治など上部構造が統一されて成立する全一体としての社会構成体が、まさに社会体制であると定義している。これらはすべて人間が生活し活動する社会という概念を前提にして、社会体制の意味を解釈しようとしたものであって、民族という特殊な人間共同体との連関関係は考慮されていない。

 民族を出発点として社会体制を理解するならば、それは民族の生活を規制する政治的、経済的およびその他各分野の秩序と制度の体制として把握することができる。言いかえれば、一つの民族は一つの国家を形成して暮らすようになるので、国家権力によって規定される民族生活上のさまざまな秩序の総体がまさに社会体制といえる。

 社会関係を離れて社会的存在である人間の生活が営めえないように、社会体制を離れて人間の共同体である民族の生活は展開されえない。一定の歴史的段階で、絶えず前進し発展しようとする民族の志向に社会体制が適応するときには、民族のもつエネルギーが高度に発揮されて民族の生活で新しい進歩が遂げられるが、そうでない場合には反対の現象が起こる。統一・独立・発展をめざす民族の生活で、社会体制は大きな意味をもっている。だからといって、これは社会体制が民族より優位にあるとか、体制が民族の存在を決定することを意味するものではない。社会体制はあくまでも民族の自主的な生活を保障し、その発展を図るためのものであり、このような意味でのみ体制の存在価値がある。言いかえれば、価値体系において優位にあるのは民族であり、体制はそれに従属する価値といえる。

 民族と体制のこのような相互関係は、民族と体制がそれぞれ形成または成立される契機を比べてみれば、さらに明確に理解することができる。

 民族は血筋と言語の共通性に基づいて形成されるが、社会体制は人びとの利害関係と、その反映であるイデオロギーを基本にして成立する。民族の形成には人間の意図や希望、選択が作用することはできないが、体制は意図的で選択的である。民族とは、だれかが望まないからといって他の民族の構成員に変わることもできない、言うならば人為的に変えたり、割ることのできないもっとも堅固な運命共同体である。これに比べて、体制は人びとの利害関係の変動によって意図的に取捨選択できるものであり、場合によっては民族自決によって一つの体制が破棄され、新しい体制に移行できる可変的な社会的関係である。したがって体制は民族を決定できないが、民族は体制を決定できるということは明白である。

 民族が体制より優位にあることは、歴史の流れのなかでも確認できる。民族ははるか昔に形成されて今日にいたっており、未来につながる連綿とした存在であるが、社会体制はこの無限の時間の流れのなかで生成消滅する存在なのである。

 民族の歴史は、絶えず異なる性格の社会体制が交替されてきた事実を示しているが、一つの社会体制が他の体制に替わることによって民族の性格に変化が起き、ほかの異質な民族に変化した例は記録されていない。例えば、一七八九年のブルジョア革命によって封建体制から近代的な資本主義体制へと移行しても、フランス人は依然としてフランス人として残ったし、十月革命によって帝政ロシアがソビエトロシアに替わっても、ロシア民族は依然ロシア民族に変わりはなかった。言うならば、民族は無限だが体制は有限といえる。この点からも、韓国の執権層が主張している民族異質化論、体制優位論がいかに虚構に満ちたものかを知ることができる。

 上記のとおり、どの側面からみても、民族が自律的に体制を選択し決定するのであって、体制が民族の存在を決定するものではないという結論を下すことができる。

 民族と体制との関係は主体と客体との関係である。民族が自主的に自らの生活を開拓していく過程で、有利な条件をつくりだすために確立し、存在させ、不断に変革していくものがまさに体制であり、体制は民族のこの生活過程を保障する社会的関係にすぎない。にもかかわらず、依然として体制優位論に固執しながら、イデオロギーと体制に違いがあるかぎり民族統一は不可能である、と主張している人びとの基本的立場や基本的意図は何なのか。体制優位論に含まれている毒素を取り出し、その立場と意図を明らかにしたい。

 体制優位論は、何よりも民族統一の当為性を根本的に拒否する反統一・分裂主義の露骨な表現である。

 これは民族間題である統一問題を体制問題に帰着させ、分断を固定化して「二つの国家」として共存することをねらっているものである。体制優位論が、分断体制下で富貴栄華を享受し、したがって統一を恐れる勢力の利害関係を反映した理論であることはいうまでもない。

 次に、体制優位論は民族統一ではなく体制統一をねらうきわめて危険な主張である。

 体制優位論の提唱者らは、条件が整えば北緯を吸収して体制統一をしようとする意図をあからさまにしている。「北韓同胞に自由民主秩序の恩恵を享受させたいという同胞愛が土台になって、初めて統一は民族的課題に昇華することができる」(4)と言っているのは、過去にだけあった主張ではない。現執権層が打ち出した「韓民族共同体統一方案」にいたるまで、韓国当局が主張してきた段階的統一論で、統一の前提条件に掲げている「民族の同質性回復」とは、まさに北韓の体制を南韓の体制に吸収して体制を単一化するという主張でしかない。

 また体制優位論は、イデオロギーと体制が同じであるという名分で、持定の強大国に依存する奴隷的屈従の思考方式を対内的に表現したものである。イデオロギーと体制が違うという理由で同民族を異民族視する観点と、イデオロギーと体制が同じだという理由で特定の強大国との関係を「血盟関係」とみる観点は、コインの両面である。外部勢力を崇るようになると同民族を敵視するようになり、同民族を敵視するようになればなるほど外部勢力に依存し、外部勢力と一層結託するようになる。

 統一のための第三の道を開拓しようとすれば、このような反民族的な思考方法を断固として打ち砕かなければならず、民族を体制より優位におく立場にしっかり立たなければならない。

   祖国は二つではありえない

 民族に対する愛着、国に対する愛は、人間の当然にして自然な感情といえる。祖国との関係を断った自己、祖国とかかわりをもたず自己だけを考える人間は、良心をもった人間とはいえない。一人の人間がどれほど国を愛する精神をもっているかということは、平穏な環境でよりも祖国が危機に陥ったとき一層明白に現れる。分断半世紀を生きてきているわが民族の一人ひとりにとって、今日ほど祖国に対する観点を正しくもつことを要請されたことはかつてなかった。

 一つの生命有機体が二つに切断されたように、祖国が両断されているというのに、痛みを感じず平然と暮らしながら、断ち切られたその半分を完全な国だと考える人間は、祖国に対する感情が麻痺し、国に対する愛について語る資格を失った人である。今日におけるわれわれの愛国は、わが国は一つであって決して二つではないという祖国観から出発しなくてはならない。

 わが祖国が一つであるという観点は、何よりも、民族が一つであれば祖国も一 つである、という道理から出発したものである。わが民族が南北に分かれ互いに違う体制のもとで暮していても、民族は変わりなく一つであり、民族が一つであれば祖国も一つであり、決して二つではありえないということである。

 祖国とは何か。祖国とは、遠い祖先の時代から子々孫々代を継いで根を下ろし、生活の場を築いてきた父祖の地であることに間違いない。そこには民族の魂が宿っており、よりよい生活を創造するため汗を流してきた民族の息吹がこもっており、そうであるため母の懐のように人びとを温かく抱いてくれるのがまさに祖国である。このように民族と祖国は互いに密接に結びついている。民族の一部が国を離れて暮らす場合でも、父祖の地を忘れることができず祖国と呼ぶ理由もここにある。

 特に、単一民族として同じ領土で数千年の歴史を創造してきたわれわれにとって、民族と祖国は互いに合致する二つの概念である。民族を語れば自然と祖国を考えるようになり、祖国を考えれば民族が浮かび上がるようになる。それなのに分断半世紀をへた今日にいたって、ことさらに南北の民族異質化を叫びながら、他民族になったかのように考え、語るのは誤りであり、今や国も二つの国家に分かれてしまったと主張するのも道理に合わない話である。これは一つの民族、一つの祖国の伝統を引き継がせてくれた祖先の志に背き、冒涜する行為であり、われわれの代を引き継ぐ子孫に罪を犯すことになる。祖国は断じて二つではありえない。

 また、祖国が変わりなく一つであるということは、分断半世紀を生きてきながらも、わが民族の心のなかで一度も揺らぐことのなかった祖国観である。

 本来、わが祖国の分断はわが民族が自ら選択したものではなく、民族の意思に反して、外部勢力が彼らの利害関係によってわれわれに押しつけた面がいである。そのために外部勢力に迎合して祖国分断の先頭に立ったカインや、その後裔ならば別だが、この国の平凡な民衆、普通の人びとは、分断された南と北を別々に切り離して考えたことは一度もなかった。いつも一つであった。これは、分断の障壁が高くなればなるほど一層強まる民族の感情であった。

 八〇年代末から九〇年代初めにいたって、青年学生のあいだで「漢拏から白頭まで、白頭から漢拏まで祖国は一つだ」という叫びが一層高まっていったのは当然なことである。八八年に「全大協・祖国統一学生推進委員会」の名で発刊された「われわれは決して二つではありえない」という出版物で、「半国的認識の克服をとおした全国的、一国的認識の枠のなかで、南北韓をみなければならない」と主張し、南半分に限定された学生運動体に、「全国大学生代表者協議会(全大協)」と「全国」という表現を用いたこと自体に問題がある、と反省している。(5)これがまさしく、今日われわれに求められている民族の良心、祖国に対する忠誠の表れである。

 近年、海外同胞社会で「南部祖国」や「北部祖国」という言葉を使用しはじめたのは、とてもよいことである。南と北をともに同じ祖国とみる観点が、海外同胞のなかでも一段と固まりつつあるということの表れである。

 以上で概括したように、南と北を同じく一つの祖国とみるのは、波瀾にみちた分断の歳月を生きてきながらも、わが民族の不動の信念である。また、わが祖国は1つであるとみることは、われわれの統一問題、民族問題を、民族主体の立場で判断し理解しようと努力するならば、おのずと到達する結論であり観点ともいえる。

 韓半島に二つの主権国家が存在するということは、国際社会が認めている客観的現実なので、当然そのように考えなければならないという見解と主張は、わが民族問題をわれわれ自身の視角でみるのでなく他人の視角に合わせてみようとする、非主体的な思考の産物である。

 国際関係や国際政治の場では、永遠の友も永遠の敵もいないという言葉があるように、国家間の関係でそれぞれの国は自国の利害関係に基づき、それを中心に動くことになる。「全人類的価植」を最優先にして「一つの世界」に固まらなければならないという声が、最近ヨーロッパで東西冷戦の終息とともに聞こえてきているが、それは実際、今日の世界の現実とも合わない空虚な話にすぎない。

 世界の多くの国が、韓半島の南北両方と二重の外交関係を結んでいる事実についていえば、それらの国が自国の利害関係によってそうしているのであって、祖国を再統一しようとするわが民族に同情してそうしているのでは決してない。わが民族の主体的立場からみれば、それは分断がもたらした不幸なことで、一口も早く解消しなければならない非正常的な現実であって、決して自慢すべきことではない。

 祖国に対する観点と立場の問題には、もちろん普遍的な倫理基準というものがありうる。しかしそれは、それぞれの国がおかれた歴史的現実によって具体的に、個別的に表現されることになる。だからある民族、ある国のおかれた歴史的現実を判断し評価するにあたっては、その民族の外部から純然と客観的にみる目と、民族史のなかでその主人である民族が自分の祖国をみる目とは、その視角が同じではありえず違いがあるのは当然である。そのような意味で祖国に対する愛、祖国観は、多分に主観的なものだといっても差し支えない。他国の人がおのれより自国を思い愛することができないという意味での話である。

 世界の多くの国が、韓半島の南北に二つの主権国家が存在するということを各観的現実と認め、二重の外交関係を結んでいる。しかし数千年の民族史を守ってきたわが民族自らが、他人がそのようにみるからといって、韓半島に二つの国家が存在すると主張することはできない。たとえ国連に南北がともに加盟していても、わが祖国は決して二つではありえない。民族内部関係を国際関係の視角からみて、自らおのれの祖国は一つではなく二つに分かれた「二つの国家」と主張するのは、ぬぐいきれない祖国への反逆となろう。

 かつてフローレンス人は次のように語ったことがある。「おのれが選択した道に従って進め。そして世間の人びとには好き勝手にいわせておけ!」。韓半島に「二つの国家」が存在するとだれかが言い、どのように行動しようとも、それにとらわれる必要はない。われわれは絶対に「半分の国」を完全な一つの国と認めないし、わが祖国は過去にも一つであり今も一つであって、これからも永遠に一つだという考えを捨てないであろう。この信念のもとに、祖国統一のため自らが選択した道に従って前進するだろう。

 この章を終わるにあたって、結論的に次のような根本的に対立する二つの立場について、もう一度強調したい。民族の同質性より異質化された側面を強調する民族異質化論から出発すれば、体制を民族の上におく体制優位論に陥り、体制優位論を展開していけば、韓半島に「二つの国家」が存在するとみる誤った認識に陥ることになる。反対に、異質化された側面より確固と保たれている民族の同質性を重視する立場から出発すれば、民族を体制の上におく民族優位論を主張するようになり、民族優位論を展開していくと、わが祖国は変わりなく一つであるという見解に到達するようになる。われわれは当然、前者の立場を退け、後者の立場を取らなければならない。

 

  注

(1)李ヨンイル (平和統一研究所理事)「統一政策」(一九八〇年一月号)

(2)申福龍(建国大学教授)「東学思想と韓国民族主義」(平民社・一九七九年発行)

(3)宋建鎬「民族統一と言論」(『シアレソリ』一九七八年七・八月号)

(4)姜光植「第五共和国の対北政策基本方向およびその認識態度」(『政経文化』一九八一年三月号)

(5)全大協・統学推編「われわれは決して二つではありえない」(一九八八年)