【主張】4・3から6・15、真の解放・統一へ

 厳しい冬が過ぎ、春の訪れを知らせる暖かい日差しと「花を妬(ねた)む寒さ」がくり返されながら、今年も着実に春がきた。

 だが、わが民族史にとって春は、心を躍(おど)らせる暖かい記憶ばかりではない。むしろ血塗られた凄惨(せいさん)な記憶が生々しく刻まれているといえる。一九一九年三月一日、「朝鮮独立万歳!」を叫び、大極旗を振って街頭におどりでた民衆の闘いは、あっという間に全土に拡散し、全民族的な運動へと発展した。結局は、日本帝国主義(日帝)の残忍な弾圧によって挫折したが、しかし、この闘いの「血の教訓」は、独立運動の発展を促進する契機となり、被抑圧民族の解放運動の先駆としてアジア諸国の民衆を大きく鼓舞し、日本帝国主義を敗亡へと導く重要な歴史的転機となったのである。

 「三・一独立運動」は、一九四五年八月十五日の「光復」へと結実した、――はずであった。ところが、「解放軍」と信じた米国による占領政策は、かつての植民地支配機構を活用し、日帝の手先となって民衆を弾圧した親日勢力を再登用したものであった。

 こうした米国の占領政策に反対し祖国の分断につながる単独選挙を拒否して起ちあがった、済州島四・三民衆抗争から、今年、六十周年を迎える。

 南北に政府が樹立される前に、祖国の分断につながる単独選挙に反対して起ちあがったこの闘いは、しかし、いまだに歴史的評価はあいまいなままであり、犠牲者の名誉回復も不十分な状態だ。「四・三」の直後の四月十四日、単独選挙に反対してピョンヤンで開催された南北連席会議に参加した民族主義者、白凡・金九先生らの行動が、今では愛国的義挙として歴史的な評価を受けているというのに、である。盧武鉉政権下で、政府による真相調査報告書が公表され、大統領自ら、国家権力の過剰な鎮圧によって島民が犠牲になったことを謝罪し、遺骨の発掘作業もようやく始められた。しかし、こうした真相究明事業すら、ハンナラ党は再検討することを主張しているのだ。

 分断に反対し真の解放を志向した済州島四・三民衆抗争は、二〇〇〇年の六・一五共同宣言に結実し、南北の和解と交流を促進し、自主的な平和統一を実現する時代を切り開いた。

 現在を生きる私たちが、民衆抗争の英霊たち、「四・三」の犠牲者たちにこたえる道は、一日も早く、祖国の自主的平和統一を実現することだ。四月六日、このような趣旨で大阪・生野地域で済州島四・三民衆抗争六十周年の集いを開催する。多くの同胞、日本の人々の参加を切望する。

 「四・三」を意図的に無視し「建国六十周年」の意義を強調して、自由主義体制の優位性をうんぬんする人々に次の言葉を紹介したい。

 大韓民国が最大の友邦と認める米国の歴史のなかでも、最も優れた大統領として今も世界中から尊敬を集めているリンカーンの言葉である。大統領になる前、上院選挙に立候補し、奴隷制をめぐって南部・北部州間の対立が深刻化し国家分裂の危機にあった状況を憂慮して行った有名な演説の一部である。

 「『分かれて争う家はたつことができない』(新約聖書)のです。この国が永久に半分奴隷で半分自由という状態にたえることはできないのです」


 

[HOME] [MENU]