【議長あいさつ】朝鮮半島の統一は迫っている/拉致解決と和解は両立できる

   「統一・平和・和解」金政夫議長の挨拶

 朝鮮半島の統一は目前に迫っています。そのようにわたしが断言する根拠は、これまで、統一にとって、最大の障害であった米国の政策が、変わったというところにあります。

 ついに、米国はこれまでの敵視政策を放棄して、北との共存政策へと大きく舵をきったのです。「テロ支援国」指定解除はそのことを象徴しています。

 南北がひとつになろうとするのを、力づくでおさえつけてきた米国の政策が、一時的であれ融和的になることは、統一にとって大きなチャンスなのです。朝鮮半島の統一が目前に迫っているということを確信する、もうひとつの理由は、二〇〇〇年「六・一五共同宣言」によって、南北の敵対関係は和解協力関係へと劇的に転換し、いまやとどめようのない歴史的潮流となっているからです。

 これまで、朝鮮半島の南北では、社会体制が違うために統一は不可能だといわれてきました。しかし、これは統一を望まない人びとによるフィクションなのです。

 戦後、ベトナムとドイツという分断国家が、一方の体制による統合を急速に行ったために、新たな対立と葛藤を生み出したという歴史的な事実を、わたしたちは目撃してきました。

 東西冷戦が厳しかった時代にも、資本主義の国と社会主義との国とのあいだで友好的な関係を結んだ事例はたくさんありました。互いの社会体制を尊重した上で共存し、交流を深めていくことは事実として可能であり、ましてや同じ民族が社会体制が違うという理由で統一できない、などということはないのです。

 わたしたちが求める統一とは、体制の統一ではなく、互いの社会制度を尊重した上で共存・共栄する「連合、あるいは低い段階の連邦制」と呼ぶべきゆるやかな形態での統一なのです。

 すでに、南北は国と国との関係でなく、将来的に統一をめざす過程にあるという前提のもとに、国連にも同時加盟しています。

 ひとつになろうとする民族の意志を力づくで妨げてきた米国の干渉がなくなれば、民族的な合意によって、統一を宣言することによって、統一は実現するのです。

 そうした意味で、統一は、ゴールではなく、スタートなのです。

 統一によって、百年にわたる植民地と分断の歴史を克服し、ようやくはじめて、わたしたちの民族の歴史が始まるのです。

 そして、わたしたちが目指すゴールとは、人類が理想としてきた社会を祖国の大地に打ち立てることなのです。人類の理想、それは、自由で平等な社会です。

 人はみな平等であるからこそ、差別から解放され自由になる権利があるのであり、自由であってこそ、平等な権利を享受できるのです。

 そうした意味で、自由のない平等や、平等でない自由は、本当の意味での自由でも平等でもないのです。自由で平等な社会、そのような社会を実現するための公正な社会秩序としての民主主義を確立することが、人類の理想であったのです。

 しかし、アジアにおいては、帝国主義の侵略と植民地支配に反対し、民族の自主独立を勝ち取ることが、なによりも優先される課題でした。民族の独立なくしては、自由も平等も人権もありえなかったのです。

 日帝の支配に反対して、わたしたちの父祖たちは、民族主義者も共産主義者もともに闘いました。

 日本の敗戦によって、しかし、わたしたちの民族は解放されませんでした。

 米国の支配と干渉による分断という新たな苦難のもとで、南と北に分断されながらも、それでも、わたしたちは、民族の真の独立、自主統一を求めて闘いつづけてきました。

 こうした闘いのなかで、人類が理想とした自由で平等な社会は、自主的な国家を確立することによって、はじめて保障されることを確信するに至ったのです。

 朝鮮半島の統一は、百年にわたる植民地と分断の歴史に終止符を打ち、ようやく、自主的で独立した民族の歴史が始まることを意味します。

 それは、人類が理想としてきた自由で平等な社会の実現に向けた歴史的なスタートなのです。

 また、朝鮮半島の統一は、朝鮮への侵略から始まった日本の歪んだ近代化の歴史に終止符を打ち、アジア諸国との善隣友好を柱とした、新しい日本の歴史が始まることでもあります。

 それは、自由で平等な社会の実現に向けた歴史的なスタートなのです。

 しかし、このような新しい時代の幕開けとも言える朝鮮半島の統一に、今、必死で反対しているのが日本政府なのです。

 日本政府が、これほどまでに、南北和解政策を進める韓国政府を非難し、米国の北朝鮮に対する政策転換に対しても必死になって反対するのはなぜなのでしょうか。

 日本政府はいつも、日本には「拉致問題」があり、この問題の解決なしには、北朝鮮との関係改善を国民世論が許さないのだといいます。

 それでは、「拉致問題」とはなんであり、それが国民世論であるとはどういうことなのでしょうか。

 「拉致問題」に関心を寄せる人びとと、日朝関係の正常化を求める人びとが、互いに力を合わせるどころか、むしろ対立してしまうのはなぜなのでしょうか。

 わたしたちは、この問題を克服することなしには、新たな時代をきり開くことはできないのです。

 日朝関係や、朝米関係に変化の兆しが現われるたびに、マスコミの前面に登場するのはいつも「拉致家族」たちです。事態が対話による融和へと状況が変化しようとする節目ごとに登場しては、彼らはいつも、北朝鮮を信用するな、制裁を強化せよ、北を締めあげろという。そして、変化の兆しはたちまち消えていってしまうのです。

 しかし、家族たちを憎んではならないのです。彼らは被害者です。

 日本社会の中で多くの困難に耐えながら生きてきたわたしたち在日同胞が、半世紀にわたって引き裂かれてきたわたしたちの民族が、彼らの悲しみと苦悩をどうして理解できないでしょうか。

 家族と、彼らに心から同情し支援に立ち上がった人びとと、わたしたちのあいだに立ちはだかり、背後で怒りと憎しみをあおる者たちがいるのです。憎むべきは彼らなのです。

 かつて日本帝国主義が求めた理想が、敗戦によって断念しなければならなかったと考える人びとは、戦後体制からの脱却を主張し、平和憲法を改悪し、力でアジアに覇権を打ち立てることを夢みています。

 彼らは過去一貫して、「北朝鮮の脅威」を口実に日本社会の反動化を推し進めようとしてきました。

 彼らこそ、「拉致問題」を政治的に利用し、北朝鮮に対する憎悪をあおり立てている張本人なのです。

 彼らが今、必死になってしがみついているのが、日本政府の北朝鮮に対する敵視政策です。

 ですから、米国が北朝鮮に対する敵視政策から共存へと大きく舵をきったように、日本政府もまた、ピョンヤン宣言にもとづいて日朝関係の正常化に向けて進むことが、日本社会の反動化を阻止し、平和と民主主義を守る道なのです。

 日本政府の政策を変えさせることが、朝鮮半島の統一を促進し、朝鮮半島と日本との新しい関係、新たな時代をきり開くことにつながるのです。

 「拉致家族」たちと、彼らを支援する善意の人びとを、背後で政治的に利用しようとする人びとの手から取り戻さなければなりません。

 家族たちは、わたしたちとともに、新しい時代に向かって進むべき人びとなのです。

 今日の集いが、朝鮮半島と日本との新しい関係をきり開き、新しい時代を創造する、一歩を踏み出す契機となれば幸いです。


 

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