金恩澤・韓統連顧問の葬儀しめやかに

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 生涯を自主・民主・統一にささげ、四日に肝不全のため六十八歳で逝去した故金恩澤顧問の葬儀が十一日、東京都荒川区の町屋斎場で韓統連葬としてしめやかに行われた。葬儀には各地から韓統連会員、韓青と女性会、学生協メンバーが駆けつけ、故人とゆかりの深かった日本人らが多数参列し、故人に最後の別れを告げた。

経歴紹介の後、郭東儀常任顧問は「故金恩澤同志はすべてを祖国と民族、組織にささげた熱烈な愛国者であり、強い信念をもった闘士」だったと述べ、「闘いの業績は韓統連と韓青、そしてわが民族の統一運動史に刻みこまれ、後輩らに伝えられるだろう」と弔辞を述べた。(全文別掲)

金知栄・民主女性会会長、文世賢・韓青中央本部委員長が会員団体を代表して故人に別れの言葉を送った。

日本人の友人を代表して吉松繁牧師は、金顧問と軍事問題の研究会を行ったことを回想しながら、そのあまりに早い死を悼んだ。

葬儀では米国、欧州をはじめ日本各地から寄せられた追悼文と弔電が多数紹介され、故人の広い人脈がしのばれた。

 参加者らは金顧問に白いカーネーションを献花し、めい福を祈った。

 最後に遺族を代表して長男の金永燦氏、葬儀委員長の金政夫・韓統連議長が参列者に謝辞を述べた。


弔辞

 故金恩澤同志。人の寿命はそれぞれ異なるといっても、わたしが同志の遺影に向かって弔辞を読むなどと、いったいだれが想像したでしょうか。どうしてこんなことになったのかと愛惜は果てしなく、あまりに悲しくて悲痛な思いを押さえることができません。

この場に立って同志の遺影を仰ぎ見ると、元気だった同志の姿が思い出されます。

同志は、在日韓国人青年たちから高い尊敬を受けてきた青年運動のリーダーでした。

韓青大阪府本部の副委員長を引き受けた一九六〇年代初盤から、中央委員長として活動したその期間は、嵐が連続して吹きすさんだ激動期でした。

しかし、その歴史の渦中で同志は一切の動搖もなく、民主と統一の立場を確固として堅持して韓日会談反対闘争、反独栽民主化闘争、 三選改憲反対闘争、入管法反対闘争などを敢然に展開して、その闘いのなかで多くの青年らを愛国者に育てあげました。

とくに同志は歴史的な七・四南北共同声明が発表されると、その声明を支持歓迎する大会を朝青とともに東京をはじめ日本各地で開催して、在日韓国人社会に統一機運を高める先駆的な役割を遂行しました。

同志の愛国心と民族民主運動に対するたゆまぬ情熱は韓民統、韓統連の核心幹部として活動するときから、一層強い光を放ちました。

同志は韓民統の事務次長、組織局長、宣伝局長、編集局長などの要職を歴任しながら、金大中前大統領の救出運動をはじめ、反独栽民主化と反米反戦平和擁護のための闘いを情熱的にくりひろげて、民族民主運動の発展に大きく貢献しました。

韓民統が韓統連に改編された後では、事務総長と副議長というより重要な役職を引き受けて、統一時代を開拓するために玉の汗を流し、そして歴史的な六・一五南北共同宣言で自主統一の時代が開かれると、同志は病苦をおして統一運動の先頭に立ちました。

実に故金恩澤同志はすべてを祖国と民族、組織にささげた熱烈な愛国者であり、強い信念をもった闘士でした。

そんな同志を失ったことはわたしたちにとって大きな損失です。同志はわたしたちから遠く旅立っていきましたが、わたしたちは同志を永遠に記憶するでしょうし、同志が残した闘いの業績は韓統連と韓青、そしてわが民族の統一運動史に刻みこまれ、後輩らに伝えられるでしょう。

同志は、あれほど望んだ祖国統一を見ることなくこの世を去りましたが、もはや祖国統一は逆らうことのできない民族史の流れになっているし、統一のその日は必ずやってくるでしょう。

  その日わたしたちは、同志の遺影を胸に抱いて、すべての民族が一堂に会する統一祝典を盛大に行うでしょう。

  故金恩澤同志。すべての肩の荷をおろして、ゆっくり休んでください。

  二〇〇五年二月十一日

 韓統連常任顧問 郭東儀


訃報

 金恩澤・韓統連顧問が二月四日、肝不全のため逝去されました。享年六十八歳でした。

通夜、告別式を韓統連葬(葬儀委員長、金政夫議長)として、以下の通り執り行います。

通 夜 2005年2月10日(木) 午後6時から
告別式 2005年2月11日(金) 午前11時から12時(出棺)
場 所 町屋斎場(地図、以下のアドレス)
http://www.kosaido.co.jp/memorial/machiya/machi_map.html


故金恩澤顧問の略歴

 韓統連中央本部顧問の金恩澤先生が二月四日午後、肝不全のため逝去した。享年六十八歳。

 故金恩澤顧問は一九三六年三月十七日に大阪市で出生した。大阪南高等学校を卒業して近畿大学法学部に進学した。在学中から韓青大阪本部の活動に参加し、六四年に韓青大阪本部委員長に就任して在日韓国人法的地位貫徹要求闘争を担った。六九年に韓青中央委員長に選出され、三選改憲反対闘争、入管法反対闘争などを指導した。

 故金恩澤顧問は韓青委員長として七二年、朝青と共催で歴史的な「七・四南北共同声明を熱烈に支持する在日同胞青年学生中央大会」を東京をはじめ日本各地で開催して大成功させ、現在の六・一五時代へとつながる先駆的な在日同胞青年学生の統一礎石を打ち立てた。

 また韓青中央本部編著の『在日韓国人の歴史と現実』(洋々社)を出版し、各界に大きな反響をよびおこした。

 故金恩澤顧問は七三年八月に韓民統が結成されると、韓青中央委員長を兼任しながら韓民統の常勤活動に入り事務次長、宣伝局長、組織局長、編集局長を歴任した。金顧問はとくに軍事問題に造詣(けい)が深く、米国の軍事戦略を分析し、朝鮮半島の平和と軍縮に関して多くの記事を「民族時報」に執筆し、シンポジウムなどで論文を発表した。

 故金恩澤顧問は八九年に韓民統が韓統連へと改編された代議員大会で副議長(事務総長兼任)に選出され、郭東儀議長を補佐して地方本部の指導にあたる一方、南北、海外三者連帯による統一運動時代を開拓し、自主・民主・統一運動の忠実な働き手としてその職責をまっとうした。

 また自身が韓青中央委員長出身であることから、韓青の後輩には格別に深い愛情情をそそいだ。そして長い運動経歴で培ったその幅広い人脈を生かして、同胞和合にも大きな力を発揮した。

 〇四年の代議員大会で金政夫現執行部の発足にともない韓統連の顧問に推たいされた。故金恩澤顧問は後進に対してあたたかい助言を与え、最後の瞬間まで民族の自主と祖国の統一、韓統連運動の発展のために尽力した。