【 朝鮮戦争中の米軍による住民虐殺の慶南地域被害事例 】

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              朝鮮戦争中における米軍による良民虐殺慶南道対策委員会

 

1.    朝鮮戦争中における米軍による良民虐殺慶南道対策委員会は、さる1999年末アメリカAP通信の老斤里良民虐殺報道以後、慶南地域のあちこちでもこれと酷似した避難民虐殺事件があったという住民の情報提供によって朝鮮戦争当時の慶南地域で行われた米軍による避難民(良民)虐殺事件に対する調査活動を六ヶ月間続けてきました。

 

2.   対策委員会の真相調査結果、慶南地域では1950年7月と8月の間に、ナムアン、ウリョン、チャンニョン、マサン、チンジュ、サチョン、ハドンなど少なくても20ヶ所以上の地域で主に米軍機の爆撃と機関銃射撃によって良民虐殺があったと確認されました。これを被害の類型別に分けてみると、

1)米軍機の爆撃と機銃掃射で被害を受けた場合…ハムアン郡グンボク面チャンジ里一帯、ウリョン郡ヨンドク面チョンドン里・ファジョン面サンイル里、サチョン市コンミョン面チヨジャン里・マゴク里、マサン市チンジョン面ジンドク里など。

2)米軍機の機銃掃射で被害を受けた場合…チンジュ市ミョンソク面、ハドン郡ヤンボ面など。

3)米軍機の爆撃、米陸軍の銃撃、米海軍の艦砲射撃が同時に行われて被害を受けた場合…マサン市ジンジョン面コクアン里

4)米陸軍の銃撃で被害を受けた場合…チャンニョン郡ヨジョ里、マサン市ジンボク面イモク里などがあります。

 

3.慶南地域で勝手気ままな米軍による避難民虐殺は、徹底的に計画された組織的な良民虐殺だった。その主な根拠は次のようです。

1)米軍機は低空飛行をして民間人だと確認しても爆撃を加えた。

   被害者と目撃者の証言によると、戦闘機による無差別爆撃直前に偵察機で事前偵察をしたのだが、米軍偵察機や戦闘機は避難民たちが操縦士の顔がわかるぐらい低空で飛んだといいます。

   これは米軍機に乗っていた操縦士もまた避難民だとはっきりわかったことを示しています。かれらはどんな武装もしていない子供、老人、女性が大部分の、白い服を着た避難民でした。かれらは民間人・避難民であることを知らせるために白い服を着て、白い手ぬぐいを振っていました。それにもかかわらず、米軍機は無差別爆撃を加えました。

 

2)「戦闘地域で動く全ての民間人は敵とみなせ」という米軍第25師団ウイリアム・キーンに少将が自分の指揮下の部隊に下した作戦命令のことが、米国のAP通信を通じて明らかになりました。これは朝鮮戦争に投入された米兵たちが、韓国国民に対して極度の人種差別的な見方をしていて、韓国国民はかれらの作戦を進めるのにうとましい障害物にすぎなかったことを示しています。

 

3)「陸軍は自軍の陣地に近づく全ての民間人に向かって機銃掃射をするように要請しているし…これまで私たちはこれに従ってきた」と書かれたトーナー・ロジャース空軍大佐のメモ(1950年7月25日作成)が、米国立公文書保管所で発見され、CBS放送を通じて暴露された。

 これは「朝鮮戦争初期、米軍が意図的に民間人に射撃をくわえる政策を繰り広げていたことを示唆するもの(CBSの報道)であり、米軍の良民虐殺が決して偶発的なものではなく、組織的な戦争犯罪だったことを示している。

 

4)いくつかの地域の場合、まだ人民軍が入ってこない非戦闘地域に無差別爆撃を加えた。敵軍がいない非戦闘地域にたいする米軍機の爆撃は、意図的な良民虐殺以外の説明はできない。

 

4.対策委員会の真相調査の結果、大部分の被害者と遺族は、このような残酷な被害を受け、無念の一言も言えずに沈黙の日々を送ってきましたが、去る1999年9月末に老斤里での米軍による良民虐殺が公式に確認され、50年の間息をひそめてきた叫びが爆発しはじめ、無惨な虐殺を受けたその日の惨状にたいする証言がはじまりました。

 

 米軍の爆撃と機関銃によって一挙に家族と知り合いを失った遺族ならびに被害当事者の悔しい私怨を彼らの注意深い証言と自らの調査活動をとおして知った私たちは、その当時の良民虐殺をついて今であっても真相究明し、名誉回復されることを心から願う被害者と遺族の痛ましい願いを心に刻んで、この事件の解決のため南、北、海外の民族の良心が集まって結成された「米軍虐殺蛮行真相究明全民族特別調査委員会」を中心に6月23日、米国ニューヨークで開かれる「コリア国際戦犯法廷」で50年前に米軍が繰り広げた戦争犯罪について全世界の良心の名で裁き、米国の謝罪と賠償を受けるまで、最後まで闘うつもりです。

 

 

慶南ハムアン郡グングック面チャンジ里一帯の米軍機爆撃・機銃掃射事件

 

 1950年8月20日、ハムアン郡グンボック面ジュンジ里一帯ユヒョン洞窟、ナムサン洞窟で非難していた約2000余名の避難民たちは、朝ご飯を食べている途中に、

米軍偵察機が低空飛行でやってきた後、爆撃機が現れ、機銃掃射とナパーム弾投下で多くの避難民が殺されました。

 当時偵察機は、低空飛行で避難民の身元を確認した状態であり、避難民が白い服を着て、白いハンカチを振って良民であることを知らせるためにあらゆる努力をしたといいます。それにもかかわらず続いて現れた米軍爆撃機は、二時間以上もの間罪のない良民に向かって爆撃と射撃を加えました。

 この事件で今まで確認された被害者数だけでも死亡170余名、負傷100余名に達します。

 

 一方、黄桂一さんの家族も一緒に非難生活をしていて、米軍機が急に爆撃と機関銃射撃をし、黄桂一さんのお父さんは息子を胸に抱いて銃弾を避けて走っていた途中、米軍機から放たれた機関銃の弾が顎を貫通し、胸に抱かれていた息子の鼻と左の頬をかすめて通る負傷を受け、かろうじて生き残ることができました。

 黄桂一さん(58歳)は、50年前の傷によって一生苦しみのなかで生きなければならない痛みを抱いてきたし、今はアムアンで農業をしながら良民虐殺の真相究明のために慶南対策委活動をしています。