◇在日同胞が民族的に生きるために

「法的地位と民族自決権(3)」

「自主」編集部

◆1991年問題について

◆退去強制の問題点

◆同化政策に抗し、民族主体の確立を

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◆1991年問題について

 前号でも触れた通り、1991年1月16日は、在日同胞の在留権をめぐっては、一つのエポックとなる年でした。

 しかし、重要なことは、在日同胞の法的地位が、やはり韓日両政府の政治決着によって決められていったことです。1991年1月10日、韓日の外相間で交わされた覚書により、一応の外交的決着がつけられました。

 覚書中の入管法関係の各事項については、「日本国との平和条約に基づき、日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(1991年法律第71条)の施行により、日本政府の方針が現実化しました。

 この法律は、戦前の旧植民地出身者とその子孫を、一般の外国人の法的地位とはじめて明確に区別しました。これまでの「法126号」該当者・「協定永住者」・「特例永住者」・「簡易永住者」の4つの永住資格を一本化し、その子孫にも同じ地位を保障しました。さらに退去強制事由を緩和、再入国許可の出国期間を5年に延長しました。

 入管特例法の制定は、細分化された法的地位が一本化されたという意味では、一歩前進です。ただ、忘れてはならないのは、入管特例法制定の背景に在日同胞の在留権の保障を求める運動の力が作用したことは、紛れもない事実です。

 しかし、退去強制は温存され、「7年を越える懲役・禁固で、日本国の重大な利益が害されたと法務大臣が認定した者。内乱・外患の罪、国交・外交上の罪、外国の元首などに対する犯罪行為は、退去強制が適用される」としています。

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◆退去強制の問題点

 入管法の最大の問題は、外国人を国外に追放する退去強制手続きを発動する場合です。「一般欧米外国人は、その多くは帰るべき故郷を持ち、日本における在留は一時的な仮住まいであるのに対し(略)朝鮮人の場合は、かっては日本国籍をもたされ、日本社会に深く、かつ長期に定着し、その肉親家族とともに日本社会に在留しているのである。これらの在日朝鮮人に(略)退去強制事項に該当する事実があるからといって、機械的に国外に追放することは、人道上許されることではない」(2月初発行 在日朝鮮人の基本的人権P85)

 そして重要なことは、運動の教訓として、韓日条約、法的地位協定の持つ問題点が、再度明らかになったことです。「かっては合法であった」という表現で、日帝の朝鮮侵略を合法化している現行の韓日条約を破棄して、新協定が締結されることが望まれます。

 

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◆同化政策に抗し、民族主体の確立を

 昨年8月31日、北韓の人工衛星発射実験以降、在日同胞に対する迫害が強まっています。各地でチマチョゴリの同胞女子学生に対する嫌がらせが横行しています。また当時、日本単独で北韓に対する送金停止の措置をとるために、外為法の改正が検討されたりもしています。

 今年8月13日に「改定」された外登法・入管法では、外国人登録証の提示義務を刑事罰をもって課すなど、日本政府が相変わらず在日同胞を治安管理の対象とするという姿勢に変化がないことを表しています。

 今、在日同胞は一・二世から、三世・四世への世代交代を、全般的同化傾向(年間帰化申請者1万名)の中で、大きな曲がり角にさしかかっているのは事実です。しかしながら、在日同胞差別がなくなっていません。少し古くなりますが、93年の1月6日の朝日新聞夕刊によれば、取扱高が年間11兆円を超えるクレジットカード業界で、大きなシェアを占める都銀系クレジットカード会社11社のうち、9社が永住権を持つ外国人にも日本人の連帯保証人や、外国人登録証明書を要求するなど、「別扱い」をしていることが明らかになっています。

 このような状況の中で、「在日同胞が民族的に生きるために」、私たちはどうすればいいのでしようか?

 私たち在日同胞の生き方が、今ほど問われている時はないでしよう。

 このような状況の中で求められていることは、「在日同胞はどう生きるのか」について、明確な未来像を定立することだと思います。

 しかしながら重要なことは、多くの在日同胞が自ら「民族的に生きる」ことを選択しているという事実です。これは、日本政府の同化・抑圧・追放政策や、日本社会の持つ差別意識や、それを生み出す構造に対する反発という側面もあるでしよう。しかし、より本質的には同化を拒否し、民族の主体性を守り、発展させたいという志向性が同胞社会に、あるいはその成員である同胞一人一人に大勢としてあるからにほかなりません。

 この本質的な志向性があるからこそ、戦前の皇国臣民化政策や、戦後に引き継がれた同化・抑圧政策にもかかわらず、在日同胞は実態としての民族と、それを支える意識を継続して守ってきたし、発展させてきました。

 「在日同胞はどう生きるべきか」について考えるうえにおいては、この本質的志向性に依拠して考えなければなりません。もう一歩踏み込んで言うならば、現象としての同化傾向は、日本政府の政策によって人為的に作られてきたということです。ですから同化を強制する力を断ち切るならば、現象としての同化傾向は、克服されるだろうということです。

 「在日同胞はどう生きるべきか」と問われるならば、やはり「民族として誇りを持って生きる」べきであるということになると思います。しかし職場で本名を名乗れないなど、在日同胞全般の現状としては、そうはなっていません。それはほかでもなく、現在の社会の有り様がそれを許さないからです。ですから、在日同胞の独自性を「許さない社会」から、「保障する社会」に変革することが求められています。そして、日本社会は当然のこととして、過去の日帝植民地支配の責任を問うまでもなく、そうする責任があります。

 そしてもう一方で、私たち自身が「本来あるべき姿」に回帰するための努力が求められています。それは「民族としての誇り」を裏付ける「独自の文化・伝統・風俗」を「我がもの」とすることです。

 しかし、このことを個人の努力に委ねることには無理があります。そのために、それらを集団の事業としなければなりません。個人の「民族主体性を回復したい」、あるいは「確立したい」という意欲を保障する環境、すなわち民族教育が必要です。

 以上、「在日同胞が民族的に生きる」ためには、そのことを保障する「社会と環境」が必要であることを明らかにしてきました。しかしながら、これらのことは必要条件ではあっても、充分条件ではありません。

 「在日同胞が民族的に生きる」ためには、「社会と環境」に加えて、「分断された民族の統一」「統一された祖国」が必要です。

 先にも書いた通り、祖国の分断状況や、朝鮮半島の軍事緊張の激化は、在日同胞の人権状況に決定的なダメージを与えてきました。この「民族分断」と、それを支える構造(日本も深く関わっている)を根本的に変革することなしには、在日同胞問題の根本的解決はありえないでしよう。

 そのことは、在日同胞の「民族自決権」「祖国とともに生きる」ことに他なりません。

 民族運動は現在、世界の至る所で展開されていますが、たとえばパレスチナ人民の闘いがそうであるように、民族運動の最終的到達目標は「民族自決権」の貫徹です。このことは、在日同胞に即した場合も、やはり祖国を持つことです。そのことは、全体民族史への参与の過程の中で、私たちが「統一された祖国」を持ち得る時に、はじめて実現するでしよう。

(完)

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