韓統連名誉回復と金大中大統領

 

 「国家保安法」は、李承晩(イ・スンマン)政権が日帝時代の治安維持法をモデルに法制化して以来、今日まで北韓を敵と規定し、南北の統一を阻害する法律として、また、人間の生まれ持った権利である思想・信条の自由を奪い、歴代政権の政権維持装置として韓国民衆に筆舌に尽くしがたい苦痛をもたらしてきた。

 そして今日、韓国民衆は、この悪名高き国家保安法の完全撤廃を掲げて金大中政権の基盤を揺るがす勢いで熾烈な闘争を展開している。

 韓統連も国家保安法により「反国家団体」として規定され、韓統連幹部は韓国への自由往来が阻害されてきた。そもそも韓統連に対する「反国家団体」規定は、金大中大統領と切っても切れない関係にある。

 韓統連の前身である「韓国民主回復統一促進国民会議」(韓民統)は1973年、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権が72年10月に宣布した戒厳令と維新憲法の制定により、海外で民主化運動推進を決意した金大中氏と在日民主勢力との間で意見(政策)の一致が見られた事により結成された経緯がある。

 その為、結成5日前にKCIA(韓国中央情報部)によって拉致された金大中氏の生命を守るべくわが組織は「金大中先生救出対策委員会」を構成し、反独裁民主化闘争を中軸に金大中氏救出運動を精力的に展開した。これらの運動の結果、金大中氏の命は救われ、その後、韓統連は朴正煕独裁政権によって「反国家団体」の規定を受けるに至った。

 以降も韓統連は、民主・民族・統一の旗の下、77年には「民主民族統一海外韓国人連合(韓民連)」の結成を維新民団の暴漢から体を張ってかち取り、反独裁民主化闘争を強力に押し進めてきた。

 その後、79年には、民衆の熾烈な民主化闘争を背景に「10・26朴正煕大統領射殺事件」が起った。この時、誰もが「これで韓国は民主化される」と思ったに違いない。

 しかし、事態は一変した。軍部クーデターによって権力を掌握した全斗煥(チョン・ドファン)らは、光州民衆抗争を「暴動」と規定し、血の弾圧を加えたばかりか、その「背後操縦者」として、金大中氏を軍法会議にかけた。私たちは、再び死の渕に立たされた金大中氏の生命を救い、軍事政権打倒のために悲壮な覚悟で立ち上がった。国際世論を喚起するために、金大中氏救出100万人署名運動を展開した。連日街頭に出て、雨の日も、うだるような真夏の暑い日も、手が凍えそうな寒風の中でも声を枯らし涙を流しながら署名を集めた。夜は9時10時まで真っ暗な夜道を1軒1軒戸別訪問して「金大中氏の命を救って下さい」と訴えながら集めた署名活動。毎月のように開催された中央集会とデモ、大使館への抗議活動と機動隊との衝突など、金大中救出運動は半年余り続いた。このような運動で金大中氏の命はまたもや救われた。

 以降、自主・民主・統一運動が高揚する中、政権は慮泰愚(ノ・テウ)金泳三(キム・ヨンサム)から金大中氏に移った。この時もまた誰もが「今度こそ間違いない!」と思った。それほど彼に対する国民の期待は大きかった。しかし、現実はそうではなく、彼の変節ぶりに国民は失望と怒りを全身で受け止めている。昨年金大中大統領が訪日した時、ある活動家のオモニ(母)は「お前たち、金大中から招待してもらっているのか。金大中に会って、礼の一言でももらわなあかん」と自分の息子に言うのである。そのオモニは、我々がどのようにして金大中大統領の命を救って来たかをよく知っているからに他ならない。

 犬でも一度受けた恩は忘れない!

 金大中大統領閣下!「貴方は、国民の悲壮なまでの期待を背負って大統領に就いたのではないのか。しかし、今の貴方は、国民の期待を裏切り、2度も命を救ってくれた恩人に背を向けることのできる人間であり、歴代政権と何ら変わるところのない、ただの政権欲に駆られた政治家だ。貴方は著書『独裁と私の闘争』の中で自らの信条を『指導者たる人間の真の価値・偉大さは、国民を尊敬し、愛し、国民の為に正しい方向、政策をどの様に打ち立てその実現に努力したかである』と言った。しかし、いくら美辞麗句を並べても信条、信念を貫き通す勇気と行動力がなければ真の指導者ではない。

 貴方が真っ先にすべき事は、国民を苦しめている国家保安法の撤廃であり、全政治犯の赦免と復権であり、韓統連の名誉回復ではないのか。

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