◇在日同胞が民族的に生きるために

「法的地位と民族自決権(2)」

「自主」編集部

◆はじめに

◆韓日法的地位協定の問題点

◆韓日条約締結以降強化される同化政策

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◆はじめに

 サンフランシスコ講和条約の発効(1952年4月27日)にともない、在日同胞は一律に日本国籍を離脱することになりました。その一方で日本政府は、一般外国人とはまったく異なる歴史的特殊性を有する在日同胞に対して、外国人登録法(1952年4月28日)と出入国管理令という二大法規により弾圧しました。

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◆韓日法的地位協定の問題点

 1965年6月22日に締結された韓日条約と韓日法的地位協定は、様々な問題点を含んでいました。

 韓日基本条約においては、その第2条で「1910年8月22日(韓日併合)以前に、大日本帝国と大韓帝国との間で締結された全ての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」という形で、かつては合法であったということを是認しました。

 このことは、昨今の「自由主義史観」派の人々に見られる日本の侵略史の歪曲を、韓国政府として是認したものに他なりません。このような問題の多い韓日基本条約の下に、韓日法的地位協定が結ばれていったわけです。

 韓日法的地位協定(日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び処遇に関する日本国と大韓民国との間の協定)では、その第1条において

@1945年8月15日以前から申請のとき(1971年1月16日)まで引き続き日本国に居住している者、

A @の子で、1945年8月16日以降、この協定の効力発生の日から5年以内に日本で出生し、その後、申請のときまで引き続き日本国に居住している者(以上、協定永住一世)、

B @Aの永住を許可された者の子として、協定発効の日から5年を経過(1971年1月16日)した後に日本国に出生した者、

以上の者に永住の許可を与えるとしました。

 しかしながら、韓日法的地位協定は、@永住といいつつ退去強制条項が適用された(懲役8年以上)A韓国籍であることを取得の要件とすることにより、在日同胞の在留資格を細分化し、在日同胞社会に分断を持ち込んだ、B協定以前に生まれた者については、いずれも「引き続き」日本に居住ということが要件となっているために「一時帰国者」や「戦後入国者」には協定永住権が付与されなかった。そのため家族の間で一部の者しか永住権を付与されない場合もあったなどの重大な問題を残してしまいました。

 そして何よりも、いわゆる協定永住三代目の取り扱いについては、何ら特別な規定がなされておらず、日本政府は「韓国政府の要請があれば」協定発効後25年(1991年1月17日)までには協議を行なうことに同意(協定第3条)しているだけでした。これは、次号で取り上げる「1991年問題」の発端となっています。

 日本政府の意図は明らかです。日本政府は、在日同胞社会の中に様々な形で分断を持ち込み、同化政策を展開して、在日同胞社会を無くしてしまおうと考えているわけです。

 

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◆韓日条約締結以降強化される同化政策

 そのことは韓日条約締結以降、よりきわだった形で展開されるようになりました。1967年に出された「外国人学校法案」は、その典型です。つまり「民族学校」は「日本国の国益を損なう」から「閉鎖命令」を出して、閉鎖できるようにしてしまうというものです。しかし、この反動的な法案も、在日同胞の反対運動と日本の良心的な世論によって廃案にされていきました。

 しかしながら日本政府の反動的な対在日同胞政策は、これのみに留まるものではありません。日本政府は1969年に「出入国管理法改正案」を出しましたが、その骨子は@導守制度を新設しA導守制度に服さない場合には中止命令を出しB退去強制にするというものです。何を導守するのかというと「日本の国家利益」という極めて曖昧なものです。

 当然、猛烈な反対運動が起こり、1971年、72年、73年と国会上程がなされながらも、廃案に追い込まれていったのです。

 1970年以降、日本政府は、同化と管理の方向をより強く打ち出してきています。そのことをまざまざと私たちに示してくれたのが、いわゆる当時の法務省入管職員の坂中論文です。坂中論文(1977年に執筆される)の中においては、在日同胞の生き方を3つに大別しています。その内容は@韓国人として本国に帰り、本国で暮らす立場A韓国人として日本で暮らす立場B日本人になって日本で暮らす立場の3つです。そして彼はAの立場については好ましくないものとしてあげながら、Bの生き方を選択させようとします。すなわち「在日韓国人が進んで日本国籍を所得したいと願うような社会環境作りに努める」という形で、実際、この論文が発表されて以降の日本政府・法務省の政策は、この論文の線に沿って進められているように見えます。

 具体的に言うと、1981年の入管法改正の中身などから見てもそう言えます。1981年の入管法改正においては、いわゆる特別永住というものが設けられ、法律126号該当者(*)の人々については、無条件に永住(懲役1年以上の罪を犯せば退去強制となるが)を許可する。いわゆる「特別永住許可」が与えられるようになりました。

 この動きの背景には@日本の差別・排外政策に対する在日同胞の反発が強く(韓日条約締結時の在日同胞の闘いなど)日本の国家政策上の大きな障害となったので、今までの政策を微調整せざるを得なくなったA国際人権規約の批准に見られる国際世論の圧力B在日同胞の人権を守るための民族団体や良心的日本人たちの粘り強い努力などがありました。

 <*法律126号該当者>
 戦前から引き続き日本に在留する者と、サンフランシスコ講和条約の発効日までに生まれた者の子どもには、「別の法律で定めるところにより、その者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間」は「在留する権利を有することなく、引き続き本邦に在留することができる」とした。
 これを法律126号という。

(最終回は12月号)

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