◇在日同胞問題欄

 在日同胞が民族的に生きるために

法的地位と民族自決権(1)

「自主」編集部

 

■はじめに

 

■在日同胞問題の基本構図

 

■緊張激化と同化・抑圧・追放政策の相互連関

 

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   はじめに

 

 この日本社会の中で「民族的に生きる」ということは、それほどたやすいことではないのは確かです。なぜなら、この日本社会は、日本的な価値観に基づいた生産様式の中に、すべてを巻き込んでいくという性質を持っているからに他ならないからです。そのことは要するに同化ということです。では、同化させるということは何か?それについて耳にした話を紹介します。

 本国から来た同胞が、ある日、親戚の家にかかってきた電話を受けたら、その家に住んでいる子どもが血相を変えて「おじさん、電話をとらんといてくれ。友だちに俺が朝鮮人やということがばれたらどないすんねん」と怒ったそうです。40数年ぶりに日本の親戚を訊ねてきた70歳を過ぎた同胞の心情は、どうだったのだろうか。私は、このような話を聞いて「同化とはすなわち非人間化」だという思いを強く持いました。私たちが民族的に生きる−同化を拒否するということは、まさに私たちが人間であるためには避けて通れない問題だと思います。

 私たちがこの日本社会の中で「民族的に生きる」ということは、小さなレベルにおいて「民族自決権」を守るということは、大きなレベルにおける「民族の分断を民衆が拒否することと、同じ質を持ったものである」と思います。であるがゆえに、日本社会の中で「民族的に生きる」ということは、在日というレベルにおける「民族統一」としての質を内包したものです。この在日というレベルにおける「民族的に生きる」ということと、民族の統一を実現するということを、どう結合させるのかが、今の私たちに必要だと思います。

 

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   在日同胞問題の基本構図

 

 私たち民族が歴史上、最も虐待されたのは、1910年8月22日の韓国併合から、1945年8月15日までの、いわゆる日帝統治下の36年間です。

 この時、韓国人は、祖国を持つという「民族自決権」を奪われ、日本国籍を強要され「皇国臣民化」の名のもとに民族抹殺政策を強要されました。また、土地調査事業の名の下に、多くの韓国人の土地が奪われました。この過程で土地を奪われ、生活の基盤を失った農民の多くが、生活の糧を求めて日本へと流れてきました。

 1939年以降に至っては、日本の侵略戦争の必要から、多くの韓国人が強制連行され、炭鉱などで強制労働を強いられました。このように日本帝国主義の植民地統治の直接・間接の影響により、8・15解放前には約200万人もの韓国人が日本に居住するようになりました。

 その後、8・15解放を契機に、日本帝国主義の支配から解放された在日同胞たちは、祖国を目指して着のみ着のまま帰っていきました。しかし、この帰国の潮流に歯止めをかけたのが、祖国の分断と混乱でした。故郷は人間の住める状況ではないと、多くの同胞たちが帰国を断念せざるを得ませんでした。ですから、在日同胞社会形成の最大の原因は、日本帝国主義の朝鮮半島侵略であり、戦後の強大国による朝鮮半島分割統治です。

 1945年8月15日、日本帝国主義が連合国軍に負けたことによって、在日同胞は、自由独立国民として解放されるはずでした。事実、1943年のカイロ宣言において「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自主独立たらしめる決意を有す」と私たち民族を解放民族として取り扱うことを認めましたし、それは、1945年のポツダム宣言にも受け継がれました。

 しかし、1945年8月15日を境に私たちの民族は、南北分断という新たな試練を受けなければなりませんでした。1945年8月15日は、日帝時代の終わりであると同時に、分断時代の始まりでもありました。

 45年8月15日を起点として、私たちの民族は、無条件に独立するはずでした。しかし、事実は逆で、わが国に上陸した米国は、軍政を布き「英語を公用語」として押しつけながら、朝鮮半島の南半分を自らの極東戦略上の軍事基地として位置づけました。

 民族が南北に分断され、南半分が米軍政下に置かれるという厳しい状況は、そのまま在日同胞の状況にも反映していきました。

 それは、1945年11月3日に発令されたGHQの指令に最もはっきり表れてています。すなわち「朝鮮人は、軍事上の許す限りは解放国民として扱うが、必要な場合は、敵国人として扱う」というものです。

 この指令が、在日同胞を治安管理対象視したものであることは、火を見るよりも明らかで、そしてこれは、現在の日本政府の在日同胞政策にもしっかりと継承されています。

 この時期、米国の極東戦略下における南韓の民衆が「解放国民」としての待遇を受けることができずにいたように、GHQ占領下の在日同胞は、当然「解放国民」として受けるべき処遇を受けられませんでした。のみならずGHQは、在日同胞の国籍については「日本籍」を有するとして、在日同胞の独立性を否定しました。

 以上見てきたように、民族の分断状況は、在日同胞の状況と密接につながりを持っています。

 

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■緊張激化と同化・抑圧・追放政策の相互連関

 

 全体民族が「分断」を強制されるという状況が、在日同胞に対しては同化を強制するという(抑圧と追放をともなって)形で表れました。

 そのことは、民族分断を決定づけた南韓における単独選挙が強行された時期(1948年5月10日)に、在日同胞に対しては民族学校の閉鎖という形で表れました。

 38度線を境に、米国・ソ連が朝鮮半島を分割しているという状況の中で、南韓のみで単独選挙を行なうということは、民族の分断を既成事実化することです。

 当然、激烈な反対闘争が国内で展開されました。とりわけ済州島で起こった4・3人民抗争においては、20万人の島民のうち、8万人が虐殺されるという弾圧がくり広げられました。

 この時期、在日同胞たちも単独選挙に反対して立ちあがりました。もちろん当時のGHQは、この闘いを弾圧しました。そして、民族教育の弾圧に手をつけたわけです。戒厳令を宣布することさえためらいませんでした。

 1948年1月24日、GHQは「朝鮮人設立学校の取り扱いについて」で、民族学校の閉鎖命令を下しました。これに対して多くの在日同胞が立ち上がりました。特に大阪においては、10万人を越える同胞たちが大手前広場に集まり、抗議の声をあげました。この時、金泰壱(キム・テイル)という少年が警官に射殺された事件は、あまりにも有名です(1948年4月24日 阪神教育闘争)

 当時、在日同胞は「民族の自決権」を否定されて、日本国籍を強要されました。そしてGHQは「日本国籍なのだから、日本の教育を受けなければならない」という理由を持ち出して、民族教育に対する弾圧を行なったのです。

 この事実から明らかなように、韓半島における軍事緊張の激化と、在日同胞に対する弾圧の強化は、表裏一体の関係にあります。

(11月号につづく)

 

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