国家保安法撤廃に向けた良心の声!

「さあ!私を捕らえろ!」

韓統連生野支部代表委員 金昌秀(キム・チャンス)

 

 1999年8月15日、分断の象徴板門店は統一を願う民族の熱気で包まれていた。

 祖国が分断され、50年以上もの歳月の内にどれ程の恨みの血と涙をこの半島は見たのだろうか。

 板門店に立ち澄み切った紺碧の空を見上げると、北から南へ・南から北へと自由に行き交う鳥たちの姿が瞼の裏に焼きつく。眼前の少し強く蹴飛ばせば壊れてしまいそうなコンクリートの一筋の帯が私達を引き裂いてきたのである。半世紀もの歳月が「北にはもう同じ同胞の存在はない」「南には民族の魂を売り渡した敵がいる」という38度線を私たちの心の内に刻み込ませてきたのかもしれない。

 南の同胞の溢れるほどの統一への思いを抱いて、9月2日、6つの良心はコンクリートの一筋の帯を越えた。祖国統一への誓いを硬く深く胸に抱き、満面の笑みを浮かべながら越えた。6つの良心はただ単に祖国統一汎民族連合南側本部(汎民連南側本部)・民主主義民族統一全国連合(全国連合)・韓国大学総学生会連合(韓総連)という民族民主勢力の組織の代表だけではなく、分断の苦痛の中で生きてきた南側の同胞の良心である。

 今、人権大統領と自負する金大中大統領は、国家保安法違反の容疑としてこの6つの良心を獄に捕らえている。祖国が南北に分断されて以降、軍事独裁政権下でも文民政権下でも、そして自らが国民の政府であるという現政権下でも民衆の権利は保障されていない。国家保安法が存在する限り保障されることはないのである。歴代政権は、国家保安法を国民統治の手段と政権維持の為の道具として利用し続けてきた。民間人として訪北した現代財閥総帥は国家保安法に抵触せず、同じ民間人が祖国統一を願って訪北すれば国家保安法違反にあたるのである。お上に逆らえば伝家の宝刀よろしく国家保安法を振りかざすのである。

 民主化?されて久しいと言われている韓国で、現在拘束されている良心囚の200名(民家協調査99/9/2)の内、人権侵害に当たると国際的にも批判されている国家保安法違反容疑での現在の拘束者数は75%の150名にも上り、昨年2月の金大中政権発足後の国家保安法違反容疑による拘束者数は611名に達している。政権発足後1年半という短期間では、過去のどの軍事独裁政権よりも国家保安法を濫用している事実をこの数字は物語っている。

 私達はいつまで民族の良心を獄につなげ続けなければならないのだろうか。民族を愛し、民族の苦悩を解き放つ為に自らの良心に従い祖国統一を叫べば獄につながれる。自らの生きる権利を叫べば獄につながれる。民主化を叫んでも獄につながれるのである。現在、国家保安法違反容疑で拘束されている150名の良心は4千万分の150でなく、7千万全民族の良心なのである。

 同族としての民族の苦悩は祖国分断から始まっている。祖国が統一されない限りこの苦悩が無くなるべくもなく、国家保安法が存在する限り祖国統一への第一歩も始まらないのである。南で闘っている同胞が、今、声を大にして叫んでいる。「私は祖国統一のために国家保安法に違反した。さあ、逮捕してみろ!」と。同時に全国的規模で国家保安法撤廃の為の運動が行われている。実定法としての国家保安法は悪法である。そして悪法も法である。しかし、法は人が定めたものであるのと同時に人によりなくす事もでき得るのである。民族を愛する良心の行動によってなくす事ができるのであろう。

 日本で生活している私達も同じ同胞である。生活をしている空間こそ違うが同じ同胞である。ことあるごとに民族に対する苦悩が生じるのは同じ同胞であるがゆえである。祖国の分断の痛みを感じているのも同じ同胞であるがゆえである。国家保安法を撤廃しようとする良心の叫びに耳を傾けることも、自らが声を出すことも、国家保安法の撤廃署名をする事も、そして、それらのことを考え始めることも民族を愛する良心の行動であろう。

 さあ、声を大にして叫ぼう「国家保安法を撤廃しよう!」と。

 

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