◇在日同胞問題欄

◇民族教育を考えるシリーズ第2回

座談会 「白頭学院−建国」を語る

出席者:金隆司、許景民、鄭貴美、玄明生

司 会:梁評守

◆まず、建国について紹介して下さい。

◆次に通学している子供たちの様子をお聞かせ下さい。

◆三つ目に、学校運営や教育姿勢にどのような感想をお持ちですか。

◆では次に、PTAの役員をなされ、その活動を通じて学校や他の保護者たちと接して感じたことについてお話し下さい。

◆最後に、子どもたちを建国学園に通わせて本当に良かったと思えることがたくさんあると思いますが、いくつかお聞かせ下さい。

 

 

 

◇<建国学園卒業生の声>

◆最近、建国中学校を卒業したI兄弟の感想(兄:97年3月卒業 弟:98年3月卒業)

◆李徳三(76年3月に建国高校卒業)

◆梁評守(75年3月に建国中学校卒業)

 

 

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民族教育を考えるシリーズ第2回

座談会 「白頭学院−建国」を語る

出席者:金隆司、許景民、鄭貴美、玄明生

司 会:梁評守

 

今回は民族学校の現状について、まず建国学園に子供たちを通学させ、PTA活動でも役員として活躍されている4名の韓統連・民主女性会の会員の皆さんに語っていただきます。

(自主編集委員会)

 

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◆まず、建国について紹介して下さい。

許景民:建国に子どもを通わせて3年になるけど、子どもを通して知ることとPTAの役員活動を通して知ることの2つがある。日本の学校とはかなり違う。子どもたちが自然に本名で呼びあっている。先生がおりにふれ民族的な要素のある教育をしている。小学校の頃からだと抵抗無く民族的なものを受け入れるので、親としてすがすがしい。建国に行ってい

る子どもたちは、民族文化について、「身につけないかん」とかよりは、真っ白な状態でふれることができる。

鄭貴美:10年以上、子どもを通わせているが、朝鮮人であるというのは隠すことだという意識が大人でも子どもでもはたらくが、建国では一切そういう意識がない。本来は、あたりまえのことだけども、日本社会のなかではそうではないので大事なことだと思う。子どもの成長を見ていくなかで、建国に通っていると民族というものを本当に普通に自覚できる。与えられるものじゃなくって、そこに通うだけで自分が在日韓国人であるということを自覚できる場所である。

梁評守:3年前に小学校の文化祭を見学したが、非常に民族的に内容の深いものを生徒全員が参加して発表していた。ものすごく民族文化豊かになっているのに本当に驚きましたね。

金隆司:いままでの意見は小学校のイメージやと思う。小学校は本当にそういうイメージだと思う。中学校の場合はちょっと違って、妙に冷めたところがある。高校受験ということもあるし、日本の小学校から来る生徒との間で、一部だけども学校のなかでは本名を名乗りながら、友達同士では通名で呼びあったり、中学校の文化祭もそんなに民族的ではない。ソンセンニム(先生)の意識の違いもあると思うけど、小学校とはだいぶ感じが違う。

 

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◆次に通学している子供たちの様子をお聞かせ下さい。

許景民:小学校3年の子に電車通学というのは過度の負担かなというのはあった。ただ、始まって半年経つけども、ニコニコしながら電車通学している子どもの成長ぶりに驚かされている。電車通学のなかで起こるちょっとした他の学校との摩擦とかがあったりしても、お兄ちゃんらが助けてくれるという連帯感があるので、頼もしい。

鄭貴美:最初、誰も名札を付けていないのに驚いた。みんなが、お互いに名前を覚えている、いい意味で牧歌的な雰囲気があるように感じた。子ども同士ではあまり問題を感じなかったが、子どもを取り巻く大人を見ると問題が潜在していると思う。子どものサッカー部の先輩で「問題児」と言われている子がいたが、町中で出会っても気持ちのよい挨拶が出来る子で、どこが「問題児」なのかと思った。民族学校といえども学校が持つ普通の問題があるんだなと改めて感じた。途中編入の問題では、高校生の場合、行く学校がないから建国へいったという大人の偏見に問題がある。

金隆司:小2までバス通学で和気あいあいとしている。3年から電車通学になるが、子どもたちの生活範囲が広くなる。ソンセンニム(先生)も努力している。隣の山之内小学校との交流も深まっている。それと、生徒の言葉遣いが他校と比べてずっと礼儀正しい。

 

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◆三つ目に、学校運営や教育姿勢にどのような感想をお持ちですか。

許景民:ソンセンニム・管理職・理事・保護者、それと民族学校を支えるべき本国政府と民団が有機的にかみ合って建国を運営しているのかを見なければならない。中でやっている人はそれなりに一生懸命考えて努力しているが、外の民団と本国政府は、関心度合いがかなり低い。

玄明生:ソンセンニム一人一人は本当に努力している。そういうことを例えば公開授業なんかをやって、外にもっと知らせていくべきだと思う。一条校なのに財政援助が少ないので、設備が貧弱なのもわかってもらえる。

鄭貴美:13年前に子どもが小学校に入ったとき学芸発表会で幼稚園と6年生が民族学校なのに、英語劇をしているのに驚いた。舞踊と農楽くらいしかなかったので、アンケートで何人かとしめし合わせて抗議したら、2年後から英語劇がなくなって、サムルノリの発表ができたということがあった。それを見て親たちは本当に喜んでいた。小学校は保護者も一体となって学校を発展させようとしていると思う。小学校は自信を持って人にもすすめられる。

金隆司:小学校の公開授業で尹東柱の詩を学習していたことに感激した保護者もいれば、受験のため英語の学習を要求する保護者もいる。学校がどう決断するのかが大事だ。建国の一番の課題は生徒数の減少だが、理事会と学校とPTAが、それぞれ頑張っているが、うまくかみあっていないように思う。率直に意見交換をしながら、もっと協力関係を高めていかなければダメだと思う。ただ、今言っているような問題は日本の学校にもある。

 

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◆では次に、PTAの役員をなされ、その活動を通じて学校や他の保護者たちと接して感じたことについてお話し下さい。

玄明生:PTA活動を通じて思うことは、遠い地域から子どもを通わせている方も多く、それぞれ本当に熱心に活動をしているのに驚く。

鄭貴美:親の子供に対する気持ちというのが一緒だなと感じた。民族意識を養うためにたくさんの人が建国に入れていることを発見して、嬉しかった。

 親同士が民族について語ることもできて、日本の学校を卒業した私には、民族学校の同窓生のような気持ちになった。

金隆司:PTA活動をする前は、自分自身、建国とのつながりが細かったが、活動をすることにより、建国に通わせている他のアボジ・オモニとの関係や、学校の状況がよく分かった。

許景民:PTA活動をされている方々の熱心さを感じる。

 

 

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◆最後に、子どもたちを建国学園に通わせて本当に良かったと思えることがたくさんあると思いますが、いくつかお聞かせ下さい。

玄明生:昨年、家族で韓国に行った際、子どもたちがウリマルで会話しているのが、とても嬉しかった。また、ソウルの食堂に入った時、私は、独特の臭いや雰囲気が、幼かった時のイヤなイメージを思い出させたが、子どもたちは素直になじむことができ、とてもおいしそうに食べるのを見て、通わせて良かったと思った。

鄭貴美:子どもたちが、自分の名前や親の生き方など素直に受け入れてくれた。民族学校に通うことで、親と子どもの共通の話題が増えたことを感じ、日本の学校に通わせていたら、そこまでなったかなと思う。

金隆司:子どもたちと民族の話ができることが良かった。日本の学校に通わせていると、なかなか難しかったのではと思う。

許景民:子どもが将来、韓国人として生きていく際、子どもの成長過程から民族に触れることが大切で、建国はそのような環境が整っている。

 

 今日の座談会は私たちが民族教育を考える上でとても大切なことを学んだと思います。

大変ありがとうございました。

 

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<建国学園卒業生の声>

◆最近、建国中学校を卒業したI兄弟の感想(兄:97年3月卒業 弟:98年3月卒業)

建国では、同級生たちだけでなく、先輩や後輩たちとの仲がとても良い。楽しかったし、長く付き合える友達がたくさん出来ました。ただ、ウリマル(韓国語)をなかなか身につけることが出来なかったし、識持還は厳しく、体罰もありました。僕たちは民族意識を強く持ちましたが、建国よりもアボジ(父)やオモニ(母)の影響の方が強かったと思います。現在、日本の公立高校に通っています。生徒数が多く、全般的に楽しいですが、同胞がたくさんいるはずなのに、本名を名乗っている生徒がほとんどいないし、朝文研(朝鮮文化研究会)活動もないのが寂しいです。

 

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◆李徳三(76年3月に建国高校卒業)

 私が建国高校に入学したのは1973年4月で、卒業したのは1976年3月でした。今からもう26年も前のことになります。日本の小学校と中学校を卒業し、民族学校に入学した訳です。

 正直なところ、民族的なものを要求して入ったというよりは、すべり止めで受験したというのが本当のところです。ただ入学して見て、それまでの田中徳三という存在から李徳三という存在に変わったのは大きな変化でした。小学校、中学校と朝鮮人としての自分を隠して、いくばくかの被差別体験もあったので、民族的な意味での解放感はありました。

 ですから、卒業記念に李徳三と刻まれた印鑑をもらったことは、当時のソンセンニム方の思いが込められたものと今では感じています。 

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◆梁評守(75年3月に建国中学校卒業)

 1966年に建国小学校に入学し、1975年に建国中学校を卒業しました。ただ、当時は現在ほど民族教育はあまり充実していなかったと記憶していますが、運動会やクラブ活動で金剛学園や朝鮮高級・中級学校との交流がありました。7・4南北共同声明が発表された72年の運動会で生徒全員が熱烈支持のたすきをかけ、校長先生のお話しを聞いたことを覚えています。

 建国学園の特徴は韓国人として生きることが自然と身につけられたこと。また、礼節に厳しいが、ソンセンニムと生徒、生徒同士の仲はとても濃かった。ただ、日本の一条校という制約もあって、ウリマル使用に強制力がなく、朝鮮初級学校のように充分に身に付けなかったことを後悔しています。でも、母校は私の誇りです。 

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