◇在日同胞問題欄

「在日同胞のメンタルヘルス2」

−私たちのアイデンティティー危機−

朴 月(パク・ウォル)

●思春期から青年期の問題

●私たちの「アイデンティティー危機」

 

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●思春期から青年期の問題

 一般に思春期というと「大人に向かう過渡期で、悩みも多く難しい時期」と考えられています。最近では青少年の事件をマスコミがセンセーショナルに取り上げ、ついに日本政府は「少年法」の改悪までしてしまいました。蛇足となるかもしれませんが、ここで青少年期の心的特性を少し整理してみます。まずは思春期と呼ばれる年齢ですが、おおむね12歳から17歳、中学生から高校生の頃をさしていいます。特性の第一に挙げられるのは身体の急激な変化です。この時期は第二次性徴期といわれ、体が変化し、性的発達が著しい時期です。クレッチマーという精神学者は「身体と精神発達の心理的平衡が脅かされると思春期危機が生じる」と著し、この時期における身体発達の問題が精神にあたえる影響の大きさを指摘しています。しかし、思春期危機から不適応などの問題をかかえるケースが多いのかというと、案外そうでもなく疫学調査結果では、不適応に至る若者が少ないことを報告しています。しかし、多くの人が実際に経験し理解している通り、この時期が感受性と葛藤の高い時期であることは間違いなさそうです。「自立」と「依存」の葛藤に揺れ、進路を開拓(選択)する能力もまだ不充分で、自信のなさから他者の視線を必要以上に気にかけ、仲間を求めても、その関係の中で疎外感や孤立感に襲われたりもし、可能性が高い分挫折感も持ちやすい、心のきしみが生じやすい時期なのです。そして「青少年は社会を映す鏡」という言葉があるように、社会や時代の影響を大きく受ける時期でもあるのです。

 次に青年期ですが、いつの時代も何処の世界においても青年期は危機です。18歳から30歳位までを青年期とすると、この時期に高校生活を終え大学進学をし、または就職をして社会人となり、親から自立して結婚をする。といったようにライフサイクルにおいて、この時期には達成していかなければならない実際的な課題が多く、それ故人生的課題(「自己とはなにか」「自分の生きる意味はなにか」「生きがいはなにか」)を考え出す『青年期特有の実存的悩み』が出てくる時期であるのです。ホールという米国の学者は20世紀初頭に青年期心性の特徴を次のようにまとめています。

 ・熱心さ、高い興味、知的好奇心と無感動・惰性(だせい)・知的無関心の交替
 ・快楽と苦痛、上機嫌とメランコリー(憂うつ)の間の振動
 ・極端な自己中心性と自己卑下との共存
 ・自己本位と愛他主義、保守主義と過激主義、群居性と排他性の交替
 ・感性支配と知性支配の間の動揺 賢明さと愚かさとの共存

 一世紀前の、しかも米国青年の心的特徴ですが、現代青年のそれと本質的には変わらないように思えます。両極の交替と共存、そしてその間の動揺が著しく、両極どちらかへの揺れはその時代や社会の影響を受け、ぶれていくものなのかもしれません。そして、この青少年期は精神病発症の好発期でもあります。

 以上挙げた特性は、身体的(生物的)次元と心理・社会的次元から派生する思春期から青年期心性の特徴です。この部分だけを見ると風土・文化・国や民族の差異に大きく関係せず、ここでは私たち在日同胞固有の「危機」は見えてきません。

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●私たちの「アイデンティティー危機」

 思春期から青年期の心的特性の第二に挙げられるのは「自我同一性(アイデンティティー)」の確立を主題にもつ時期であるということです。「アイデンティティー」という言葉は現在ではほとんど日常語となり、職業的アイデンティティー・性的アイデンティティー等、主に自分の証明にかかわる言葉として用いられますが、いまひとつ理解しきれない言葉でもあります。ここでは一つの基準として心理学者のエリクソンが提唱したアイデンティティーの概念にあてはめて理解して見ることにします。

 エリクソンは二つの軸でアイデンティティーを定義しました。@生まれてこのかた自分は「一貫した存在」として今日まで生き続けており、さらに今後もその延長上を生きるであろうという自信(実感)。A自分という存在もしくは自分の生き方が、自分の生きているこの「社会によって是認」されているはずだという自信(実感)――(「存在」という単語を「在日韓国・朝鮮人」という言葉に置き換えて見れば理解しやすいのではないでしようか)エリクソンは、こういう二つの軸があってはじめて人間は安定感をもって生きていけるとしました。

 では私たち在日韓国・朝鮮人に、この二つの軸はあるのでしようか?私は同胞内部には、この@の軸は強固にあると考えています。如何に在日同胞社会の動態変化(総数の減少や国際結婚の増加など)が伝えられていても、周囲を見渡せば親の代からの人間関係が引き継がれ、風習・伝統を守り、自分の子にそれを伝えている「生活と伝統と文化の継承者」は大勢います。また、日本政府の厳しい同化帰化政策の下、市井の差別・排外状況が常に私たちの「民族的アイデンティティー」を脅かし続けていても、この20〜30年の間に私たちは在日同胞(海外勢力)としての独自の立場を生かし、教育・文化・政治の分野で確実な成長と力を発揮し続けてきました。民族文化祭・統一マダンをはじめとした行事が、大規模なものから小規模のものまで日本の各地で開かれる、高校に設置されている韓・朝文研が継承されている、学生・青年組織が同胞啓蒙的な活動を日常的に展開している、10年前には、海外同胞団体が分断歴史上初めて南・北・海外の合同統一行動を実現していった。以上挙げたものだけ見ても、各分野での「同胞民族力」ともいうべき力量は、相当なものがあると言えるのではないでしようか。

 私たちが日々営む生活の中の民族的であろうとする努力(ささやかなものも含めて)が、@を確実に形成してきたし、これからも保証していくのです。

 問題はAの「社会による是認」です。ここでは社会は即ち日本社会を指しますが、考えれば皮肉なことに、私たちが@を確実で強固なものにすればするほど日本社会との文化摩擦的な局面は広がります。政治軋轢も生じAが否定されるのです。このことを端的に示すものとして、最近では「自民選挙制度調査会」においての、太田誠一議員の「30〜40年の内に在日韓国人は自然になくなり、みんな日本人になる。同じ国にいるのに、かたまりをつくるのはどうか。」(9月29日朝日新聞)がありました。歴代政治家の朝鮮半島に対する問題発言は枚挙にいとまなく、マスコミの北部祖国に対する敵対報道は、公共の電波を通して日本人のみならず在日同胞までも洗脳する勢いがありました。これまでと現在の日本社会は、私たちの存在と生き方を是認しようとはしていないのです。

 私たち定住外国人にとっての「民族的アイデンティティー」を考える時、「社会からの是認」は重要な視点で、これが否定されるとき「アイデンティティー確立」は不確かなものとなり、アイデンティティーの曖昧さから青年期危機――前項のホールの青年期心性の特徴の部分に立ち戻って、こころの方向性がマイナスに振れていくと仮定して見てください――に陥っていくことは容易であるように思えます。

 ライフサイクルの青年期におけるメンタルヘルスという観点から見ると、「アイデンティティー危機」は精神的な問題(病気も含めて)を発生させる一つの因子とみることができます。「自分らしい生き方が分からない」「だから、どうしてよいのか分からない」と訴える青年が、精神科診療所に時折来院します。症状の中心には無気力・無感動といったものがあり、耐えがたい苦痛がない分、他に救いを求めることが少ないと予測できます。ですから受診の動機も、日常生活の行動異常が他者の知れるところとなり、親・友人にすすめられて、というケースが多いのが特徴でもあります。(行動異常には盗み・性的逸脱・拒食・過食などの陽性の行動化と、社会参加の放棄・ソフトなとじこもりなどの陰性の行動化があり、後者は必発の症状とされています)

 外見から病気と理解されにくく、身体の症状が出るわけでもないし、生活の全面から退却する行動化でもないので周囲は深刻視してくれず、ともすれば「非行」「サボリ」のレッテルを貼られることもあります。長引けば「社会参加の放棄」は「社会からの脱落」を招き、場合によっては人格的な問題へと発展していきます。

 「民族的アイデンティティー」とは単に「民族心」の証明をさす言葉ではなく、私たち在日韓国・朝鮮人にとっては、培ってきた歴史と将来のあり方を示す言葉であり、日本社会と在日社会の政治的関係性を現す言葉であり、個人のメンタルヘルスにとってはその人格形成に必須不可欠なものであるわけです。

 在日同胞青年が「危機」に立つ時、彼らを救うのは「民族的アイデンティティー」そのものなのかもしれません。

(12月号につづく)

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