彼らの遺志と我らの意志

 

 昨年9月の朝米会談での合意を契機とした、米国の対北戦争政策見直しと朝米和解の気運にもかかわらず、その後、何らの進展ぶりも見ないことに苛立ちと不安を覚えていたある日、忘れそうになっていた学生闘士たちの名前を思い出した。

 金世鎮(キム・セジン)・李東洙(イ・ドンス)、韓国学生たちによる反米自主化闘争が、よりその熾烈さを増そうとしていた1986年春、彼らは相次いでその身に火を放ち「ヤンキーゴーホーム!」を叫んだ。

 南北分断以来、南の地を覆ってきた「親米文化」の虚構からひとたび脱け出すと、眼に飛び込んでくる米国の対韓支配の在り様、南北いづれの同胞にも向けられた米軍の銃口。彼らのそのあまりにも痛ましい姿は、炭鉱の中で卒倒するカナリアの如く、民族の危機を警告する身悶えであった。

 以来14年、祖国の現状は多くの南北民衆の自己犠牲により、辛うじてその命脈をつなげてはいるものの、分断以来の基本構造の変化には至っていない。その最大の原因のひとつは、米国の支配政策が南の地で依然として受容されていることにある。

 米国の対韓政策によって、既得権を得ている勢力のみならず、実は米国によって様々な収奪を受けているうちの多くも米国直輸入の消費文化にほんろうされ、アメリカ的成功と繁栄を夢見る今日の風潮を作った責任は、政治勢力、軍部をはじめ、経済、マスコミ、芸能・文化など各分野で有利な地位を占める人々の大半にある。

 ただ、奪われ尽くされてきた「持たざる者」たちと、信念を持った闘士たちのみが、祖国の地におけるる米国の犯罪性を告発し続けている。

 新千年を迎え、まるで「時代が変わった」かのような言句が飛び交う中で行なわれる今春の国会議員総選挙。そうした政治の世界に身を投じた新世代政治家の中には、かって金世鎮や李東洙と志を同じくした者が多く含まれている。彼らがなぜ制度圏政治の中に身を投じたのかは、ここでは知る術がないが、たったひとつ肝に命じてほしいことがある。

 「わが民族に対する20世紀最大の犯罪国」米国に対して、韓国政治は無力であるかどうか以前に、闘う意志すら持ち得てこなかったということを。死んでいった者たちに対する義理立てのためではなく、自らが民衆とともにより良き将来をもたらす可能性を残すために。                             

(昌)

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