◇在日同胞問題欄

「日本の学校における在日同胞の民族教育」

洪智雄(ホン・チウン)

●はじめに

●日本の学校現場での在日同胞

●日本における民族教育にとって

 戻る

 

●はじめに

 2000年を迎えた今日、在日同胞をめぐる状況は厳しい。

 1945年日本の植民地からの解放もつかの間、その後祖国が分断されるという状況で、何らかの理由で日本に居住せざるを得なかった在日同胞一世たち。

 それから半世紀が過ぎ、一世が在日同胞社会でしめる割合は減少し、今や同胞社会は二・三世の時代へと移行しつつある。しかし、日本に根強く残る民族差別によって、在日同胞二・三世の多くは民族的な誇りを持てず、日本人のように生きようと日本社会に埋没してしまっているのが現状ではないだろうか。そのことは、在日同胞の子どもの約90%が日本の小・中・高校に通っていることにも表れている。

 大阪では、日本の学校に通う同胞の子どものために正規授業後の課外時間などに「民族学級」という民族教育の取り組みがなされている。

 日本の学校における在日同胞の子どもの現状と、そこでの民族教育とはどのような意味を持つのかについて考えてみたい。

 top

 戻る

 

 

●日本の学校現場での在日同胞

 新井さん、金本君・・・。

 普段の学校生活の中で当たり前のように通名が使われるのが大半の日本の学校の現状である。それでも、同胞が多数居住し「民族学級」がある大阪のような地域では、本名で通学する子どもが1割から2割程度いる。(ただ、本名使用率は学校ごとでひらきがある。)

 日本の学校に通う同胞の子どもの問題を考える時、この通名使用の問題は子ども自身の意識の問題もあるが、主には保護者の考えによるところが大きい。

 「学校で'いじめ'にあうかもしれない。−実際に、自分が子どもの頃にいじめにあったという経験を持っていたり−」「日本で生きていくのだから、別にわざわざ本名でなくてもよい」といった考えの保護者は多い。

 また、民族学級の取り組みなどによって本名で学校に通っていた子どもが、成長にともない就職や進学に際して、本人や保護者の意向で通名に「もどす」といった例もある。これには、本名で受け入れてもらえないという日本社会の現実や、保護者自身が通名で生活している、そのことを余儀なくさせられているという事情がある。

 本名なのか、通名なのかという問題は、日本の学校に通う在日同胞の子どもへの民族教育にとって、入り口であり出口の問題であるといえる。本名で通学し、卒業後も韓国人としての自分に誇りを持って生きる、つまり本名で生きていくことを子どもが選択することが、日本の学校における民族教育の最初の目標といえる。

 このことは、最初から本名しかない、民族学校の場合とのちがいのひとつであろう。

 もう一つの現状として、日本籍の子どもの増大である。国際結婚や帰化などの理由で日本籍の同胞は年々増加している。日本籍の自分に民族教育は関係ないといった態度を見せる子どもや保護者がいる。中には、子どもに自分が民族のルーツを持っていることを教えていないケースさえある。つまり、日本籍取得によって過去を消し去ろうとしているのである。

 しかし、朝鮮半島に何らかのルーツを持つ同胞の子どもに、民族について知らせていくことは大変重要な課題である。日本籍を取得したからといって自分の過去を消し去ることはできないし、そうすることは、一人の人間として生きるのに不幸なことである。なぜなら、自分がどのような歴史の中で生まれたのかということは、これからどう生きるのかを考える時に大切なことであるからだ。

 日本籍を持つ子どもに対して民族教育を行なうことは人としての生き方を自由に選択するという人権教育の一環ともいえる。

 また、「民族学級」の取り組みの過程では、日本人の子どもや教師に対して、朝鮮半島の歴史や文化について知る「国際理解教育」の実践が行なわれている。同胞の子どもが日常接している日本人の子どもや教師に対する働きかけは、広い意味で、同胞の子どもが堂々と生きることができる環境を整えるものとなっている。

 

 top

 戻る

 

 

●日本の学校における民族教育にとって

 在日同胞にとって自分の民族について正しく知ることは、異質なものを排除する日本社会の中で否定され、それによって劣等視してきた自らの民族への否定的意識を、本来ある姿−韓国人であることを誇りとする積極的な意識−に戻す過程であるだろう。したがって、本名を名乗る、本名に変えるのでなく本名に戻すという表現が正しいように、通名を名乗り日本人のように生きることは本来の姿ではないのだ。

 日本の学校の現状では、このことをまず確認し、同胞の子どもが民族について正しく知れるような環境を作らなければならない。

 一般的に教育は本人と保護者の同意を必要とする。しかし、日本の学校では、本人や保護者の日本人のように生きたい。余計なことをしてくれるなといった反応に直面することがある。また民族教育を行なうことが、強制であると取り違われたりすることもある。

 こうして考えてみる時、日本の学校での民族教育の問題は、同胞社会全体の問題であるとも言えるのではないか。それは、子どもや保護者が実際に韓国人として生きることを選択できる社会の状況を作ることが民族教育にとって不可欠であるからだ。さらには、自分が民族の一員であることに希望と喜びをもてるようにするために、祖国と民族が在日同胞にとって魅力あるものとしてあらねばならない。

 こうしたことは日本の学校での民族教育を進めるためにも、同胞社会が団結しその力でもって日本社会に働きかけていくことが重要であり、そのことを確保するためにも祖国の統一は必要条件であるだろう。

 在日同胞の90%が日本の学校に通う現状で、同胞社会全体が日本の学校での民族教育に対する支援を惜しむことがないような団結した姿が求められる。そして、すべての民族団体があらゆる機会(民族学校、民族学級、地域での同胞青年に対する取り組みなど)での民族教育の取り組みに対して関心を持ち、一致して日本社会に民族教育の重要性をアピールすることが求められる時代である。

 top

 戻る