金大中氏救出運動と韓統連

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 連載   金大中氏救出運動と韓統連(6)

 

 海外民主勢力が韓民連を結成

 「民主救国憲章署名運動」を支持して「海外同胞推進本部」を構成

 韓民統がニューヨーク国際会議の成功のために奔走しているとき、本国の民主勢力は七七年三月二十二日に「民主救国憲章」を発表したのに続いて、四月十五日に「民主救国憲章署名推進本部」を結成し、「民主救国憲章の道」を発表した。

 韓民統は五月十五日に緊急代表者会議を招集し、本国民主勢力の「民主救国憲章署名運動」に呼応して世界的な範囲で署名運動を展開することを決定し、推進機構として「民主救国憲章署名運動海外推進本部」を構成した。韓民統の提起は世界各地に居住する海外同胞と民主団体の支持と歓迎を受け、全世界的な規模で署名運動が活発に展開された。

 前中央情報部長・金炯旭が許しを請う手紙を寄せる

 民主救国憲章署名運動が世界各地で展開されるにしたがって、金大中氏救出運動も一層活気を帯びるようになった。時あたかも、米下院外交委国際委員会は韓国問題に関する公聴会を開いていた。六月二十二日、この公聴会の証人として出頭した前中央情報部長の金炯旭は、「金大中ら致事件はKCIAの犯行であり、朴正煕の許可なしには遂行できず」「日本の警視庁は事件を事前に知っていた」という重大な事実を明らかにした。

 政治決着の虚構性が再びあらわになり、韓日両国はまたしても窮地に追いつめられた。この爆弾証言を引き出したのは、韓民統の屈することのない運動である。金炯旭は爆弾証言の後、韓民統に過去の過ちの許しを請い、しっかり闘ってくださいとの激励の手紙を送ってきた。韓民統は金炯旭の爆弾証言を契機に、金大中氏救出運動を一層強化することにした。

 韓民統は六月二十三日の記者会見で@政治決着の破棄Aら致事件の真相調査と公開B日本の国会内に超党派の調査委員会の設置C金大中氏の原状回復――などを強く要求する声明を発表した。続いて、七月五日には東京で「金大中先生の原状回復要求緊急集会」を開き、先の記者会見で明らかにした要求事項を盛り込んだ決議文を採択し、園田内閣官房長官(当時)に提出した。

 韓民統の活動に呼応し、日本の良心勢力も一層声を高く上げるようになった。

 森川金寿、藤島宇内氏ら日本の著名な法曹人、文化人によって構成された「金大中事件告発人団」は七月七日、記者会見を持ち、福田内閣は金大中氏ら致事件が朴政権による組織的犯罪であることを公式に認定し、金大中氏の原状回復によって金氏の人権回復を朴政権に要求せよ――など五項目の要望書を発表し、日本政府に伝達した。

 韓民統は救出運動を一層高揚させるために八月七日にも集会を開き、集会後のデモ行進で世論を高めた。

 海外民主勢力が総結集して「民主民族統一韓国人連合」を結成

  一方、韓民統は、海外で反維新独裁と金大中氏救出世論を高め、海外運動を形成する目的で「海外韓国人民主運動代表者会議」の開催を世界各地の同胞民主団体に提起した。全海外同胞連合組織を形成する基調は、民主救国憲章署名運動と金大中氏救出運動を通してすでに作られていた。韓民統の発起によって、世界各地の同胞団体代表らは八月十二日から十四日までの三日間、東京で「海外韓国人民主運動代表者会議」を開き、「民主民族統一韓国人連合」(韓民連)を結成した。

 大陸と大洋をこえて駆けつけた参加者の胸には、極悪な朴正煕ファッショ統治を退け、事大主義の屈従から抜け出て、民族の尊厳と祖国の自主権を保障する自主・自立の遠大な抱負と構想にあふれていた。

 二日目の会議途中、突然、暴徒数百人が叫び声をあげて会議場に押し寄せ、会館正門を破壊して三階の会議場への乱入を図り、会場を警護していた韓青同盟員との間で一大乱闘劇を繰り広げた。凶器を振りかざして押し寄せる暴徒らを素手で食い止めた韓青盟員には、数多くの負傷者が出た。

 この暴徒は、言うまでもなく、この会議に衝撃を受けた朴政権が駐日大使館のKCIAに命じて動員した民団中央とその傘下団体の青年会の暴力輩らであった。

 韓民連の結成は、海外同胞運動の発展に新たな章を開く画期的な出来事であった。韓民連が結成されたことで、海外民主勢力は分散性を克服して一つに結束し、その団結した力で自主・民主・統一運動をより高い次元で強力に展開できるようになった。韓民連が結成された結果、とくに国際連帯運動を全世界的規模に拡大できる強力な政治的武器を持つことになった。

 東京でブラント社会主義インター議長と会談し、国際政治活動の地平を切り開く

  七七年末の十二月十六日、朴正煕独裁政権は金大中氏を晋州刑務所からソウル大学付属病院に移送した。これは国民世論を鎮めるための姑(こ)息な術策であった。これに対して、韓民統はただちに金大中氏の釈放を要求する声明を発表した。この日に発表された韓民統の声明は、ちょうど東京で開かれていた「社会主義インター」(SI)首脳会談の大きな反応を呼び起こした。当時SI議長は西ドイツの社会民主党党首のブラント氏であった。ブラント議長は、故尹伊桑・韓民連欧州本部議長とは親密な間柄だった。「東ベルリン事件」に関連して死刑判決を受けた故尹伊桑氏ら関連者の原状回復を実現した人物がブラント氏だった。

 このような関係から、ブラント議長と韓民連、韓民統代表との会談は十八日、東京のプレスセンターで実現した。この会談で、故裴東湖・韓民連共同議長兼韓民統顧問と故金載華・韓民統議長代行、故尹伊桑・韓民連欧州本部議長は、韓国国民の民主化と祖国統一運動、金大中氏の救出にブラント議長の協力を要請した。ブラント議長は韓民連、韓民統の要請を快く受け入れ、韓民連のSI加盟に賛成するという格別な友好の情を表してくれた。ブラント議長と韓民連、韓民統代表との出会いは、その後、とくに光州抗争以後の金大中氏救出運動で、大きな威力を発揮するようになる。

 (つづく)

 

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