金大中氏救出運動と韓統連

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 連載   金大中氏救出運動と韓統連(5)

 

 日米で国際会議開く

 救出運動を通して韓日民衆の連帯運動をつくる

 ら致事件がKCIAの犯行であることが明白になった以上、日本政府は韓国政府に対して犯人の処罰と金大中氏の原状回復を要求すべきであった。だが日本政府は、それとは反対に韓国政府のうそで固められた捜査結果を了承し、公然とら致事件の終息へと動いた。そして政治決着という欺まん劇を演じたのである。それによって、朴正煕政権は最大の危機から一応免れることになった。

 韓民統は新たな対応を迫られた。そのもっとも有効な反撃は政治決着の不当性、とくに政治決着の裏にひそむ両国政府の不純な意図を徹底的に暴いて、憤激の世論を高めることであり、金大中氏ら致事件と反独裁民主化運動を密接に結合させて、民主化運動を強化・発展させることであると考えた。

 このような判断のもと、韓民統は直ちに行動を開始した。そして七五年八月八日、日本の民主勢力と共同で、東京の後楽園ホールで、金大中氏ら致事件の欺まん的な政治決着を糾弾する「韓日両民族憤激集会」を開いた。憤激集会には韓民統所属の在日韓国人や日本市民ら約二千人が参加した。集会は、海外での韓国反独裁民主化闘争を一層高い段階で世界的規模に拡大・発展させるひとつの契機ともなった。

 翌七六年になると、韓国でも反独裁民主化運動は一層の高まりを見せ、三・一独立運動五十七周年を迎えて、各界の民主人士らは「民主救国宣言」を発表した。反独裁民主化運動の高まりに恐れおののいた朴独裁政権は、関係者全員を拘束するという蛮行を働いた。拘束者の中には金大中氏も含まれていた。

 韓民統は前述の方針にしたがい、「民主救国宣言」への全面的な支持と拘束者の無条件釈放、朴正煕の退陣を要求する集会・デモ、駐日韓国大使館・領事館への抗議活動などを連日展開した。そして、韓青同を中心に「百万人署名運動」を展開することにした。この署名運動は六月から十月までの四か月間にわたって続けられ、その目標を達成した。百万人の署名簿は、同年十二月に青地晨氏らが(韓民統関係者には旅券が発給されないため、海外渡航が不可能だった)ニューヨークまで赴き、国連事務総長に提出して、金大中氏らの釈放と韓国の民主化のために国連が影響力を行使することを強く要請した。

 民主化運動で初の国際会議を組織する

  韓民統は百万人署名運動を推進する一方で、青地晨、小田実氏ら日本の民主人士と共同で、八月十二日―十四日にかけて「韓国問題緊急国際会議」を東京で開いた。この会議には世界十六か国から約百人の著名な政治家、学者、文化人、市民運動の代表が参加した。韓国問題に関する国際会議が開かれたのは、韓国民主化運動史上初めてであり、韓国の民主化問題を国際化するうえで画期的なできごとであった。

 国際会議では、韓民統を代表して裴東湖常任顧問(当時)が基調報告を行い、朴正煕独裁体制の実態と永久分断策を全面的に暴くとともに、朴政権に抗して闘う国内外韓国人の不屈の闘争を生々しく紹介し、韓国民の反独裁民主化と統一運動への支持、金大中氏ら拘束された民主人士釈放のために、世界の良心の支援を訴えた。

 会議は、人権と民主主義をじゅうりんし、暴圧を欲しいままにしている朴正煕政権への憤りと、韓国民の正義の闘いへの支援の熱気でわき立った。会議では韓国民の民主化と統一、平和への念願を反映した決議文が満場一致で採択され、記者会見を通して全世界に報道された。また決議文は、当時スリランカで開かれていた非同盟会議にも電送されて大きな反響を呼び起こし、朴独裁を糾弾する声は全世界に広がることになった。会議ではまた、同様の会議を米国とヨーロッパでも開くことを決めた。

金載華議長代行自ら「敬老の日」ハンストを断行

  韓民統は国際会議に続いて、その年の敬老の日(九月十五日)に金載華議長代行を中心に六十五歳以上の高齢者が「金大中、金芝河氏ら民主人士の釈放を要求する在日韓国人高齢者ハンスト」を東京の数寄屋橋公園で行った。ハンストのテントの前には「われわれには敬老の日もない」というスローガンが掲げられていた。このハンストもマスコミに大きく取り上げられ、多くの人々に深い感動と支持を呼び起こした。

 以上からもわかるように、韓民統は七六年、これまでだれもなしえなかった韓国問題緊急国際会議や百万人署名運動、高齢者のハンストなどを大成功のうちに貫徹し、金大中氏の救出と韓国民主化に大きく寄与した。

 この成果に基づいて、韓民統は七七年、反独裁民主化闘争をさらに強化することを決意した。なぜなら、朴正煕独裁政権を打倒することなくして、韓国の民主化と金大中氏の救出が実現されないと判断したからである。この判断にしたがって、反独裁民主化闘争を多様な方法で展開しつつ、前年の国際会議の合意に基づいて、米国のニューヨークと西ドイツのボンで国際会議を開く準備に着手した。

 二つの地域で国際会議を開くことは容易なことではなかったが、韓民統は現地の民主勢力と緊密な連係のもと、まず七七年四月一日―三日までの三日間、ニューヨークで「米国の新対韓政策を要求する韓米問題国際会議」を開いた。同会議には、韓国、米国、英国、フランス、日本、西ドイツなど九か国から百余人の著名人士が参加した。

 韓民統の代表は、同会議の主役の一人として参加するはずだったが、日本政府が再入国許可証の発行を拒否したために参加することができなかった。これは金大中氏ら致事件の政治決着と文世光事件の処置の際に、韓日間で取り交わされた「反韓分子の取り締まりに関する秘密覚書」(椎名メモ)によるものであったと考えられる。

 日本からの出入国を拒否された韓民統代表は、日本政府にその不当性を強く抗議する一方、ニューヨークの国際会議に準備されていた基調演説文をメッセージに代えて送ることにした。

 金載華議長代行はメッセージのなかで、@カーター米大統領の人権外交、ならびに駐韓米軍の縮小と段階的撤収を肯定的に評価しA朴正煕独裁が超憲法的な「緊急措置」を乱発して暴圧政治をさらに強めている実態を暴露し、獄中で迫害を受けている数多くの民主人士の釈放のために緊急措置をとりB米国の対韓政策は、南北の統一された全民族との友好親善を図る方向へと是正されなければならない――と強調した。

 ニューヨークの国際会議を通して、金大中氏を含む民主人士の救出と韓国民の民主化闘争への支持は全米に広がることになった。

 (つづく)

 

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