金大中氏救出運動と韓統連

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 連載   金大中氏救出運動と韓統連(4)

 

 二回の「政治決着」と韓民統弾圧謀略

 「政治決着」へと動いた韓日両政府

 韓民統と金大中先生救出対策委員会など在日民主勢力は連日、金大中氏救出と朴正煕軍事独裁政権の蛮行を糾弾する大規模な運動を展開した。韓民統は国連事務総長ら国連関係者、ニクソン米大統領ら欧米各国の首脳、非同盟首脳会議、国際編集人協会(IPI)総会など国際機関、日本の各界に金大中氏の現状回復を要請する電報を打つなどの要請活動を行った。そして、短期間のうちに世界中で朴正煕独裁政権に対する糾弾と金大中氏の現状回復、事件の真相究明を求める声が巻き起こった。

1974.6.3  その結果、韓日両国は九月に予定していた韓日定期閣僚会議を無期延期せざるをえなくなった。そして、日本の捜査当局はら致犯人の一人として、駐日韓国大使館員の金東雲一等書記官の指紋の検出発表まで追い込まれた。

 しかし朴正煕独裁政権は、金大中氏を八月中旬から十月二十六日まで自宅軟禁にして一切の活動の自由を奪い、韓日両政府間で事件の「政治決着」をつける準備を進めた。

 

 

 

 第一次「政治決着」

 韓国の金溶植外相は十一月一日の記者会見で、@金東雲一等書記官は事件に関連した疑いですでに免職にしたA金大中氏が帰国前に米国、日本でとった言動については、今後本人が反国家的言動を繰り返さないならば、責任は問わないB十一月二日に金鍾泌首相が日本を訪問して日本政府と国民に遺憾の意を表する――などと発表した。

 同日、日本でも二階堂官房長官が@韓国側の捜査で金東雲書記官の容疑が濃厚と認めたことは、日本の捜査結果とも合致するもの。金大中氏の自由の回復は喜ばしいことA金鍾泌首相の来日を歓迎する――との談話を発表した。

 そして翌二日、韓民統など在日民主勢力の反対デモのなか、金鍾泌首相は朴正煕大統領の「遺憾表明」書簡をもって日本を訪問し、田中首相との会談を経て「政治決着」をつけた。しかし、金大中氏は内外において自由ではなく、現状回復も実現せず、金東雲書記官も逮捕されなかった。

 韓日両国が内外の反対運動にもかかわらず「政治決着」をつけたのは、早期に韓日閣僚会議を開いて、「倒れいく朴正煕独裁政権」を支える必要があったためだ。韓日両政府は十二月二十六日、韓民統や日本の民主勢力の激しい反対にもかかわらず閣僚会議を開き、二百四十七億円の新規援助など朴政権支援を決定した。

 金大中氏の軟禁を「政治決着」の一週間前に解いたのは、「追いつめられた朴独裁政権の悪らつな政治的謀略」(韓民統と救対委連名の声明)だった。自宅軟禁を解かれた金大中氏は韓民統との国際電話で、政治信念は変わらず今後も闘っていく意志を表明した。

 燃え上がる国内外闘争で追いつめられた朴独裁政権

 韓民統など海外民主勢力の金大中氏救出運動と朴独裁打倒闘争は、維新クーデターの暴圧で長い間沈黙を余儀なくされた本国民主勢力に決起を促した。七三年十月二日にソウル文理大生が朴独裁打倒を叫んで決起したのを皮切りに、学生の連続決起、民主人士らの時局宣言、記者らの闘争宣言、宗教人らの人権宣言、政治家の闘争へと続き、ついに年末の改憲請願百万人署名運動へと発展した。

1974.6.7  韓民統や救対委はそのつど支持と連帯の集会や街頭宣伝活動を行い、また米国やヨーロッパの同胞にも同様の活動を呼びかけた。

 請願署名が瞬時に百万人達成の勢いを見せたため、追いつめられた朴独裁政権は年明けの九日、「最後の悪あがき」として「大統領緊急措置」を発令し、署名運動を武力で弾圧した。韓民統などは大統領緊急措置に反対する大会を開き、欺まん的な「政治決着」を批判して金大中氏の現状回復を求める活動を一日も休むことなく展開した。日本人も引き続き犯人の逮捕と事件の真相究明を求めた。

 韓国では七四年四月、青年学生が「全国民主青年学生総連盟」に結集して一人永久独裁を厳しく糾弾したが、朴独裁政権はこれを「民青学連事件」としてでっち上げ、多くの民主青年と学生を連行した。そして、中央情報部は韓民統の郭東儀組織局長が二人の日本人を使って本国の闘争を背後操縦したとの謀略の捜査結果を発表した。朴独裁政権がどれほど在日民主勢力を恐れていたかを証明するものであり、韓民統弾圧の陰謀の始まりを示す事件だった。

 一方、朴独裁政権は「出国を含めて自由」であるはずの金大中氏を、六七年と七一年の大統領選挙違反容疑で起訴し、法廷出頭の召喚状を送りつけた。再び金大中氏の身に危険が迫った。韓民統や救対委の救出運動は一層高まり、朴独裁政権は国際的に孤立を深めた。

 文世光事件と韓日両政府の「韓民統弾圧謀略」

 ら致事件の一周年を迎えて、朴独裁政権は日本で展開された「金大中氏の現状回復」「事件の真相究明」「独裁政権打倒」闘争で窮地に陥った。このような状況を逆転させるための一大陰謀が進んでいた。

 八月十五日の光復節式典で大統領狙撃事件が起きた。韓国側は、在日同胞の文世光が日本の旅券を持ち、大阪府警で盗まれたけん銃で大統領夫人を狙撃したと発表、またも韓民統と関連づけて弾圧しようと策動した。

 韓日両政府は七五年七月、「金東雲に関する口上書」で韓国側の金東雲捜査を終了させ、「朴大統領狙撃事件に関する口上書」で日本の「反韓国行為」の取り締まりを約束した。この二つの「口上書」は、金大中氏ら致事件の金東雲問題と文世光事件をセットにしたもので、韓日両政府が「相打ち」のかたちで「手打ち」を行ったものだ。宮沢外相は「韓国側は金大中事件についてわが国に対し最善を尽くした、と判断した。金大中事件はこれで完結した」と宣言した。「第二次政治決着」である。

 文世光は死刑判決直後に処刑され、大統領夫人狙撃事件は迷宮入りになった。文世光は一度も訪韓の経験がなく、極度の近眼で二、三メートル先も見えず、検問で引っかかった彼を大統領警護室の関係者が会場に案内したなど、狙撃事件の疑問は未解決である。

 しかしこの事件によって、金大中氏ら致事件は「完全に政治決着」された。また韓民統など在日民主勢力の金大中氏救出運動と民主化闘争は日本政府の「取り締まり対象」にされ、日本警察が韓青同中央本部を強制捜査する蛮行が現実に起きた。韓日両政府は相互に政権を支援しあうため、反対勢力への弾圧も相互に実行するという謀略を働いたのだ。

 (つづく)

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