金大中氏救出運動と韓統連

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 連載   金大中氏救出運動と韓統連(3)

 

 ら致事件と救出運動

 ら致事件

  韓民統結成を一週間後に控えた八月八日白昼、金大中氏が東京のグランドパレスホテルから韓国中央情報部(KCIA)によってら致された。その日、金大中氏は都内・飯田橋のグランドパレスホテルの二二一〇号室で、民主統一党の梁一東党首と昼食をとりながら懇談をしていた。そして部屋を出たところを五、六人のKCIA要員によって薬物をかがされ、地下駐車場に運ばれて車で連れ去られた。

 金大中氏は目隠しをされていたため、逃走ル−トははっきり確認されていないが、目撃者や証人、金氏自身の証言でほぼ概要が解明されている。これらを総合すると、車に乗せられた金大中氏は東名、名神高速道路で関西に行き、そこでいったんKCIAのアジトに寄った。そしてそこから船に乗せられた。金氏は船の中で足に重りをつけられ、いつでも海に投げこまれる状態になっていたという。そのとき、飛行機が飛来して何らかのやり取りの後、金氏はそのまま韓国に連れていかれた。そして八月十三日夜、ソウルの自宅付近で解放されたというものである(飛行機の飛来については、いまだ確認されていない)。

 金大中氏救出運動の展開

  韓民統の出帆は、金大中氏救出運動によって幕を開けることになった。

 これほどの衝撃的な国際犯罪は、日本でかつてなかったことであり、さらに国民的交流も少ない韓日間に起こった事件のために、日本人の反応はそれほど敏速ではなかった。そのような状況のもとで、韓民統結成に合流した在日民主勢力は果敢な救援運動を展開した。八月八日、金大中氏がら致されたことを知らされた在日民主勢力は当日、グランドパレスホテルで緊急記者会見を行い、KCIAの犯行と断定した。そして、ただちに金大中氏救出対策委員会を構成し(九日)、KCIAの犯行であることを明らかにする声明を発表した。また情報を収集する一方、自民党AA研などの政界やマスコミ、米日政府に金大中氏の救出を訴えた。

 事件直後から、権力サイドは北の犯行説や金氏自身の自作自演説、内紛説などを流して、救援運動を混乱・妨害しようとしたが、在日民主勢力は総力を挙げてこれを退け、事件がKCIAの犯行であること、金氏が生命の危機に瀕しており一刻を争うことを広く訴え、一気に日本国内の世論を高めた。このような救援運動によって、金大中氏は一命を取りとめたのである。十三日、韓民統結成発起大会の直後に、金大中氏がソウルの自宅に現れたという報告が入り、金氏の無事を知って胸をなで下ろした。

 しかし、金大中氏の身の危険はそれで去ったわけではない。凶暴な朴正煕軍事独裁政権の手中にある以上、いつ、いかなる手段で抹殺されるかわからなかった。実際、朴政権は金大中氏を「国事犯」に仕立てあげる策動や、ありもしない選挙違反事件をでっち上げた。

 韓民統を結成した在日民主勢力は、金大中氏の生命を守るために全力を挙げて日本の各界各層と世界の世論に金氏の原状回復と真相究明、責任者の処罰を訴え続けた。

 金大中氏救出委員会は八月九日以後、相次いで声明を発表し、十五日には韓民統結成宣布大会の後、第二部で「金大中先生ら致糾弾在日韓国人大会」(三千人)を開き、デモを行った。そして、韓民統と救出委員会は共催で一か月後の九月八日に東京・日消ホ−ルで「金大中先生救出韓国人決起大会」(二千人)を開いたのを皮切りに、九月二十三日に大阪・国民会館で「金大中先生救出在日韓国人関西大会」、十月十三日に東京・読売ホ−ルで「金大中先生を救出し、本国学生らの反独裁闘争を支援する在日韓国人民衆大会」(二千人)、十一月八日に東京・全電通ホールで「本国学生・知識人の民主救国闘争を熱烈に支持し、金大中先生の再来日を要求する在日韓国大会」(八百人)、そしてら致事件の政治決着を機に、日本政府が朴政権に経済援助を再開しようとしたことに対して、十二月九日に東京・読売ホールで「本国同胞の救国闘争に在日同胞も呼応しよう!本国同胞の救国闘争を支援し、韓日閣僚会議に反対して、金大中先生の再来日を要求する在日韓国人大会」(千五百人)を連続して開き、本国同胞の救国闘争を支持し、韓日閣僚会議の反対と金大中氏の原状回復を訴えた。

 また、翌年二月三日には大統領緊急措置に反対して、東京・読売ホールで「朴政権の『緊急措置権』発動の暴挙を糾弾する在日韓国人大会」(千五百人)を持ち、六月七日には金大中氏に対する選挙違反容疑の不当召喚を糾弾して「朴政権の軍事裁判を糾弾し、愛国的学生と人士らの釈放を要求する在日韓国人大会」(千余人)を開くなど、そのつど大会とデモを行い、大々的な街頭宣伝を展開した。

 金大中氏救出運動は引き続き、朴政権が金氏を抹殺しようとしたり、政治的自由を奪おうとすることに対し、そのつど断食闘争や署名運動など多種多様な戦術を駆使して日本と世界の世論を喚起し、救援運動を繰り広げて朴正煕政権の野望を阻んだ。

 金大中氏救出運動は、金大中氏ら致事件の犯人であるKCIA=朴正煕軍事独裁政権を糾弾して国際的に孤立化させることになり、金大中氏と合意した反独裁民主化・南北統一の運動を前進させることになったのである。

 一方、金大中氏救出運動は、それまで日本の良心的知識人や民主団体の間であまり知られていなかった国内外の韓国民主化運動の実情を広く知らせ、その後大きく発展する韓日連帯運動を作ることになった。(※当時、日本の良識者の間では、韓国の独裁政権に対する批判のあまり、韓国内の民主化運動を反共主義にとらわれた保守的なものと見て、過小評価する傾向があった)。

 (つづく)

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