金大中氏救出運動と韓統連

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 連載   金大中氏救出運動と韓統連(1)

 

今年(一九九八年)は韓統連結成二十五周年にあたる。一九七三年八月に韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)が結成され、八九年に在日韓国民主統一連合(韓統連)へと発展的に改編したが、韓統連は二十五年間、たゆみなく韓国の民主化と祖国の統一のために一貫した闘いを展開してきた。そのために、歴代独裁政権の憎悪の対象となり、激しい弾圧を受け続けてきた。一方で韓国中央情報部(KCIA)によるら致事件の被害当事者であり、歴代独裁政権の「きゅう敵」としてさまざまな迫害を受けてきた金大中氏は、いまや韓国大統領に就任し、十月七日に日本を公式訪問する。韓民統の結成と金大中氏、金大中氏救出運動と韓民統の活動は切っても切り離せない関係にある。金大中氏は現在、拉致事件の真相を明らかにし、韓日両政府による政治決着を見直すうえで絶好の大統領職にいるにもかかわらず、解決に向けた動きはほとんど見えせいない。また、金大中氏を政治的に抹殺するために行った韓民統への「反国家団体」規定(七八年の大法院判決)も、現在に至っても撤回されず、韓統連の名誉回復が実現されないまま、構成員の韓国への自由往来が認められていない。これもまた、金大中大統領自らが解決すべきであり、解決できる問題である。韓統連の二十五年間の足跡を金大中氏救出運動を軸に振り返りながら、国家保安法の撤廃と韓統連の名誉回復の実現を強く訴える。

韓統連前史―本国独裁政権と民団民主化闘争

 

 民団の結成と自主化の動き

 一九四五年八月解放後、在日同胞は単一の同胞組織(在日朝鮮人連盟・朝連)を結成したが、南北の分断と対立のなかで組織は分裂し、四六年十月に「在日本朝鮮居留民団(民団)」が結成された(四八年八月、大韓民国政府樹立で在日本大韓民国居留民団と改称)。

 民団は、反共を国是とする本国政府の政策を最優先し、組織運営にも本国政府の露骨な干渉が行われたために、次第に活動に著しい混乱をもたらすようになる。その結果、本国政府の無分別な内部干渉を受け入れるのか、自治団体としての自律性を守るのかをめぐって、内部に対立と葛藤(かっとう)が起きてきた。こうした状況で、民団は六〇年の四・一九革命による李承晩政権の崩壊直後の五月、「民団第三次宣言」を採択する。これは今後、本国政府の政策に対しては、在日同胞の権益を守るという立場から是々非々の姿勢で望むことを明らかにしたもので、反共イデオロギーによって民団を政治的に利用してきた李政権の在日同胞政策を批判した画期的なものであった。

 ところが、五・一六クーデターによる朴正煕軍事政権の出現で、状況は再び変わった。軍事クーデターを追い風に、日帝時代の親日分子として有名な権逸が中央団長に就任し、民団への朴政権の干渉が始まり、駐日代表部(韓日国交正常化前の大使館の前身)を通して、民団を御用化しようとする策動が公々然と強化された。このような状況のなかで、自治団体としての民団の自主性を守ろうとする良心的な人々は、六一年十月に「民団正常化有志懇談会」(有志懇談会)を組織し、民団の自主化、民主化を要求しながら、在日同胞の法的地位闘争などを力強く繰り広げた。

 このような闘争は広範な民団同胞の支持を受け、韓日条約の締結強行後、国内外で反政府機運が一層高まるなかで、朴政権に一方的に追従していた民団中央執行部は完全に窮地に陥った。

 録音事件―民団自主守護委員会の結成

 民団内で民主化機運が高まり、圧倒的多数の同胞が民団組織の改革を望むようになった。七一年の民団中央大会では民主派が推す団長候補の当選が確実視され、同胞の期待が高まった。こうしたときに、本国政府の露骨な選挙干渉が行われたのである。

 七一年三月、民団中央大会を前にした中央委員会で、当時公使だった金在権が来賓あいさつで「某団長候補の有力な支持者が、朝総連幹部とホテルで密談し、反国家的言動を行った内容を録音した。いま公開すると選挙干渉になるから、大会後に公開して処断する」と公言した。大使館や民団中央側は、某人物とは裴東湖氏であると言いふらし、当時有志懇談会の支持を受けて出馬した兪ソクチュン候補を支持しないよう、露骨な選挙干渉を行った。結局このために、大使館側が推す李禧元が中央団長に当選し、兪候補は落選した。

 大会後、裴氏と有志懇談会は、金在権のいう録音の公開を要求したが、ついに公開されなかった。これが「録音問題」事件である。

 また駐日大使館の圧力によって、民団中央は民団の自主化、民主化闘争に参加していた民団東京本部、神奈川本部に「直轄処分」をくだし、在日韓国青年同盟(韓青同)などの傘下団体認定を取り消し、民団発展に大きく寄与した幹部や活動家を手当たり次第に権利停止や除名処分にするなどの暴挙を働いた。

 このような状況に直面した自主化、民主化勢力は、有志懇談会を基盤に新たに「民団自主守護委員会」(自主委)を組織し、民団御用化反対運動を一層強化した。

 七・四南北共同声明と民統協の結成

民団東京と総連東京は南北共同声明支持大会を72年8月15日に開いた  七二年の七・四南北共同声明の発表は、本国だけでなく在日同胞のなかにも祖国統一運動への大きなうねりを引き起こした。自主委などが全国的に共同声明支持・歓迎大会を行ったのに続いて、七月二十三日、分断後初めて、民団と総連の支部(東京・大田)が共催で七・四南北共同声明支持共同大会を開いた。これを契機に、八月七日の韓青同・朝青同共同大会、八月十五日の民団東京本部・総連東京本部共同大会など、さまざまなレベルの共同大会が開かれ、南北共同声明への支持は在日同胞の社会全般に拡大した。

 有志懇談会のメンバーは、発展する情勢に呼応して統一運動を推進する母体を結成することを決定し、八月二十日に「民族統一協議会」(民統協)を結成した。七・四南北共同声明の精神である自主・平和・民族大団結の三大原則で祖国統一を達成することを綱領とした民統協の発足により、在日韓国人運動は、民団という枠から全民族的な運動へと発展した(民族時報は七二年十一月、民統協機関紙として創刊され、韓民統発足後は韓民統機関紙となった)。

 民統協が結成されたことで、民統協、自主委、民団東京、民団神奈川、韓青同、婦人会東京による「六団体協議会」が構成された。六団体協議会は民団中央に対抗する民主勢力の拠点となり、民団民主化運動、祖国統一運動が活発に展開されることになった。この六団体協議会が、韓民統結成の組織的母体になったのである。

 

金大中氏との出会い、韓民統結成へ

73年3月21日、箱根で開かれた民団民主化勢力の会議で講演をする金大中  一方、七一年の大統領選挙を通して長期執権に踏み出した朴政権は、七二年十月に維新クーデターを起こし、「一人永久執権体制」を築いた。朴政権は民主化・統一運動に対して過酷な弾圧を繰り広げ、国民への圧制は日ごとに深まっていった。

 情勢は、朴軍事独裁政権の圧政をはねのけ、民主化・統一運動を前進させる新たな組織と運動を求めており、六団体協議会に結集した在日民主人士の思いも同じであった。折しも、七一年の大統領選挙で朴正煕に打撃を与え、民主陣営の有力な指導者に浮かび上がった金大中氏が、日本に滞在していた。金大中氏は、維新クーデターが起きると、その暴挙を糾弾しながら、海外で民主回復と統一促進運動を繰り広げる決心を内外に明らかにした。

 


こうして在日民主運動の代表らと金大中氏は手をつなぎ、ともに反独裁民主化・祖国統一運動を力強く繰り広げること、その運動を指導する組織として「韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)日本本部」を結成することに七三年七月、合意した。

 (つづく)

 

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