金大中氏救出運動と韓統連

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  連載   金大中氏救出運動と韓統連(9)

 

 第二の救出運動を積極的に展開

 全斗煥・盧泰愚一派が光州市民二千人を虐殺し、政権を強奪

 民衆の抵抗によって朴正煕政権が破滅すると、維新体制の解体と民主化の実現を求める韓国民衆の意志が活火山のように噴出する「ソウルの春」が来た。しかし全斗煥を頭目とする新軍部勢力は、崔圭夏を大統領の座にすわらせて、裏では成長する民主勢力に対応できるよう、維新体制を凌駕(りょうが)する独裁政権の再構築を密かに準備していた。彼らのこのような陰謀は、一二・一二クーデターを経て五・一七戒厳令拡大措置に続き、それに反対して立ち上がった光州市民のほう起を野獣のように弾圧し、権力を奪取する「血のクーデター」の断行として表れた。

 「血のクーデター」で全斗煥がすべての権力を掌握することになった。全斗煥政権は、朴正煕政権をさらに上回る凶暴な軍事独裁政権であった。数千人の同族を殺りくして執権した経緯に対してはいうまでもなく、すでに二月に復権した金大中氏を「内乱陰謀罪」にかけて死刑を宣告するなど、暴挙をためらわずに強行する暴力集団であった。民主勢力に対する無慈悲な抹殺策動によって、本国の民主勢力は合法運動空間を一斉に封鎖され、地下運動に入らざるをえなかった。

 このような状況で、公開的な運動は韓民統をはじめとした海外運動が担うことになった。

 

 

 新軍部勢力の残虐性を国際的に暴露

 韓民統は、全斗煥軍事独裁政権の罪状を世界に告発して断罪する活動とともに、金大中氏の救出のために再び奮起した。五・一七クーデター後、すぐに光州市民の闘争を積極的に支持・声援する運動を展開してきた韓民統は、新軍部の武力弾圧で光州ほう起が鎮圧された厳しい事態に対して、六月一日から全斗煥の光州市民虐殺蛮行を糾弾し、金大中氏抹殺の陰謀を暴露し、彼の釈放を要求する活動を猛烈に繰り広げた。

 とくに運動の効果を高めるため、すぐさま光州市民の英雄的な闘いの様子と弾圧軍の暴虐無道な殺人蛮行の現場を録画した資料を集め、映画「韓国一九八〇年―血の抗争」を制作、六月十日から日本各地で上映運動を大々的に繰り広げ、光州で犯した全斗煥一派の蛮行を在日同胞と日本市民に広範に宣伝し、知らせていった。またこの映画をヨーロッパと米国の同胞民主団体にも送り、そこでも上映を行えるようにし、反全斗煥闘争と金大中氏救出運動の戦線を拡大していった。軍事独裁統治のもとで、全斗煥一派の光州市民虐殺の現場を映画として制作し、威力ある宣伝武器として活用されたのは、この映画が唯一のものだ。この映画上映運動の波及効果は大変なものだった。全斗煥一派の殺人蛮行を糾弾し、光州民衆ほう起と関連させながら、金大中氏抹殺陰謀の糾弾と彼の釈放を要求する声が、世界の至るところでこだますることになった。

 しかし、暴虐無道な全斗煥一派は、ついに軍事裁判で金大中氏に死刑を宣告した。金大中氏に死刑を宣告した全斗煥一派の暴挙に、沸き立つ怒りを抑えることができなかった。韓民統は緊急会議を開き、全斗煥一派の打倒と金大中氏救出を当面の二大課題として決定し、その実現にすべての力を集中していくことになった。これに従い、韓民統は、八〇年二月に解散した「金大中先生救出対策委員会」を再び復活させることにし、行動として、暗黒裁判の事実を随時暴露する声明、記者会見、講演会、宣伝物配布などを最大限に強化し、これと並行して断食闘争、大衆集会とデモ、日本国会に対する請願緊急署名運動、国連に送る百万人署名運動を繰り広げた。日本の国会に対する請願署名運動では七十万人の署名を集めて出し、国連に送る署名は目標を超過、百二十万人の署名を集め、それぞれ関係当局に提出した。大衆集会と街頭デモも、六月一日から金大中氏が米国に「追放」される時まで、数十回開かれた。

 全国で「金大中氏を殺すな」の波を起こす

 とくに韓民統は救出運動の雰囲気をさらに高めるため、その年の八月の一か月間だけでも四日と八日、十五日と三回にわたって大規模の集会を開き、集会後に街頭デモを繰り広げた。これと並行して八月十三、十四日の両日にかけ、日本、米国、ヨーロッパなどで活動している民主団体代表百余人で「緊急海外韓国人代表者会議」を開き、この会議で金大中氏救出運動を全世界的に拡散させるために「金大中先生救出海外韓国人連絡会議」を構成した。「緊急海外韓国人代表者会議」は、金大中氏救出運動を拡大・強化させるのに新たな契機を作る意義深い会議であった。

 韓民統はまた、日本をはじめ、権威ある国際機構と世界の良心勢力に金大中氏の救出を訴え、各界各層の共同行動を連続的に繰り広げた。まず韓民統は、日本の各政党、労働団体、市民団体、法曹界、文化界などに、金大中氏救出運動に対する協力と効果的な行動を取ってくれるよう呼びかける要請活動を精力的に繰り広げた。韓民統の要請に日本の各界は積極的に呼応した。日本の各界の団体と人士らは、日本各地で多様な救出運動に立ち上がった。とくに日本でもっとも力のある団体「日本労働組合総評議会」(総評)は、記者会見で金大中氏救出運動を行うことを公式に決め、続いて各界別の組織と人士を網羅した「金大中氏救出日本連絡会議」を八〇年七月十一日に発足させ、まず一千万人署名運動を展開することを決定した。

 総評の主導で「金大中氏救出日本連絡会議」が構成されたことで、それを契機に日本人の中での金大中氏救出運動は前例なく高まった。救出運動の熱気が日ごとに高まるなか、八〇年十月九、十日の両日に、東京で日本の法曹界と文化人が中心となって「金大中裁判調査・糾弾国民法廷」が開廷した。韓民統代表と救出運動代表が証人となり、金大中氏の抹殺をもくろむ全斗煥一派の暗黒裁判の実態をひとつひとつ暴露し、韓民統を「反国家団体」に規定した全斗煥一派の政治的意図まで余すことなく暴いた。韓民統と救出委代表の証言は、国民法廷の関係者と傍聴人千余人の日本人らに大きな感動と信頼を深めさせた。

 

 (つづく)

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